2018年08月10日

「いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会」が8月5日、小冊子『中央本線419列車 いのはなトンネル列車銃撃空襲の悲劇』(揺籃(ようらん)社)を出版

 終戦直前、八王子市裏高尾町の「湯(い)の花トンネル」に差しかかった列車が米軍機の銃撃を受けた史実を後世に伝えようと、八王子市内の住民らでつくる「いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会」が、2018年8月5日、小冊子『中央本線419列車 いのはなトンネル列車銃撃空襲の悲劇』(揺籃(ようらん)社)を出版しました。

 銃撃があったのは、1945年8月5日

 新宿駅から長野駅へ向かっていた中央線の「419列車」が、P51戦闘機の機銃掃射を受け、50人を超える乗客らが命を落としたとされ、単独の列車を狙った空襲では、国内最大級の犠牲を出したとも言われています。

 もうすぐ8月15日。平和を考える上でも、ぜひお手に取りください。八王子市内の書店などで販売(税抜き600円)。

揺籃社http://www.simizukobo.com/
『中央本線419列車 ―いのはなトンネル列車銃撃空襲の悲劇―』.jpg


【記事】
終戦直前の悲劇 後世に…米軍機列車銃撃73年
(2018年8月8日 読売新聞)
https://www.yomiuri.co.jp/local/tokyotama/news/20180808-OYTNT50062.html

終戦直前の列車銃撃を小冊子にまとめた斉藤さん
中央本線419列車 いのはなトンネル列車銃撃空襲の悲劇1.jpg

 八王子市裏高尾町で終戦直前、「湯(い)の花トンネル」に差しかかった列車が米軍機の銃撃を受けた史実を後世に伝えようと、市内の住民らでつくる「いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会」が、被害状況などを小冊子にまとめ、出版した。執筆した高校教員の斉藤勉さん(60)は「銃撃の歴史を知って、平和について考えてほしい」と話している。

 銃撃があったのは、1945年8月5日。新宿駅から長野駅へ向かっていた中央線の「419列車」が、P51戦闘機の機銃掃射を受けた。50人を超える乗客らが命を落としたとされ、単独の列車を狙った空襲では、国内最大級の犠牲を出したとも言われる。

 斉藤さんは大学卒業後、空襲や戦災の記録をまとめてきた。83年、銃撃に関する証言を得るために、当時の乗客らによる座談会を開催。翌年には地元住民の有志らで慰霊の会を発足させ、毎年8月5日に慰霊の集いを開くようになった。

 不特定多数が乗り込む列車の場合、特定の地域を狙った空襲に比べ、犠牲者を特定することは難しかった。証言を集めるため、北海道の新聞に「尋ね人」の記事を載せ、遺族を捜し当てたこともある。

 3年ほど前には、米軍側の資料も新たに手に入った。一方で、当時のことを語ることのできる人は少なくなるばかり。「分かった事実を後世に残さないといけない」。小冊子の出版を決めた。



 小冊子は、過去に蓄積してきた乗客ら百数十人の証言や資料を基に作成した。満員の列車が銃撃され、乗客が逃げまどったことや、地元住民らが救護活動をしたことなどを、時系列に沿ってまとめた。

 「パンパンと機関砲弾の破裂する音が耳元で響き、人々の絶叫が起こった」「床は血の海で、歩くと血がくるぶしまで上がった」。情景をイメージしてもらえるように、細かい描写にもこだわった。「どんな説明も、事実の重さにはかなわない」との考えからだ。

 乗客が逃げ込んだとされる線路脇の沢や、負傷者が運び込まれた病院などの写真、列車の運行状況を示す地図なども随所に盛り込んだ。活字離れが指摘される若者にも、手に取ってもらうためだ。



 列車が銃撃されて73年の今月5日。慰霊の会は、この日を選んで小冊子を出版した。斉藤さんは「地元のことでも、伝えなければ忘れ去られる。戦争を経験していない人に読んでもらい、関心を持ってほしい」と話している。

 小冊子は「中央本線419列車 いのはなトンネル列車銃撃空襲の悲劇」(揺籃(ようらん)社)。八王子市内の書店などで販売している。税抜き600円。

平和願い 追悼の集い

列車が銃撃されたトンネルの近くで開かれた慰霊の集い(5日、八王子市で)
中央本線419列車 いのはなトンネル列車銃撃空襲の悲劇2.jpg

 慰霊の会は5日、トンネル付近で犠牲者を追悼する集いを開いた。遺族や地元の住民ら約70人が参列し、犠牲者の氏名を刻印した石碑に花を供えて黙とうした。

 集いは今年で35回目。来年には年号が新しくなることもあり、「昭和がさらに遠くなる」といった声も聞かれた。

 銃撃当時、列車に乗っていて、2歳上の姉を亡くした大田区の黒柳美恵子さん(86)は「戦争の歴史を正しく伝えていくことに責任の重さを感じます。二度と悲劇を起こさないように、さらに平和を願います」と話した。
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2018年06月11日

八王子市在住の写真家・小松由佳さんの『オリーブの丘へ続くシリアの小道で ふるさとを失った難民たちの日々』(河出書房新社)

 八王子市在住の写真家・小松由佳さんは、2016年3月に『オリーブの丘へ続くシリアの小道で ふるさとを失った難民たちの日々』(河出書房新社)を出版、2017年には「まちなか交流・活動拠点、kikki+(キッキプラス)」(八王子市八日町)で作品展を開くなど精力的に活動しています。

 その小松由佳さんが、2018年6月中旬から、シリア難民の取材を行うためにトルコ南部・シリア国境付近の街に向かうそうです。ぜひ無事に取材を終え、八王子に帰ってきてほしいですね!

フォトグラファー・小松由佳HP http://yukakomatsu.jp/


【記事】
写真家・小松由佳さん、トルコ取材へ シリア難民の生活に向き合う
(2018年6月5日 八王子経済新)
https://hachioji.keizai.biz/headline/2551/

「メロン売りの一家」 c Yuka KOMATSU
「メロン売りの一家」 c Yuka KOMATSU.jpg

 八王子在住の写真家・小松由佳さんが6月中旬から、シリア難民の取材を行うに当たりトルコ南部・シリア国境付近の街に向かう。

 シリア人の夫を持ち、2008年からシリアに関わってきたという小松さん。2011年から始まったシリア危機以後は現地で難民となった人たちの姿を取材しようと、シリアだけでなく、ヨルダンの難民キャンプなども訪れてきた。2016年には人々の暮らしぶりを写真とともにまとめた「オリーブの丘へ続くシリアの小道で ふるさとを失った難民たちの日々」(河出書房新社)を出版したほか、昨年は「まちなか交流・活動拠点 kikki+(キッキプラス)」(八王子市八日町)で作品展を開くなど精力的に活動している。

 シリアを脱出した多くの人たちが逃れたのがトルコ。今回は1カ月間にわたり、シリアから新天地に移り住み、新たな暮らしを始めている人たちの日常を取材する。「内戦から7年がたち、難民も多様化している。故郷から逃れてきた人たちが、すぐには故郷には戻れないことをだんだんと受け入れて、その地に新しい生活を築き始める過渡期にある。そうした生活の変化を取材したい」と小松さん。取材後はメディア展開だけでなく写真展の開催なども見込んでいるという。

 取材に向け自身のホームページなどを通してカンパも呼び掛けている。二眼レフカメラ「ローライフレックス」を使っており、「12枚撮りのフィルムカメラで撮影しているため、フィルム代や現像代などのコストがとてもかかってしまう。今回、活動費がぎりぎりということもあり、よりよい取材ができるようカンパを募ることにした」と小松さん。想定の目標額を超えた分については、現地での傷病者や困窮家庭への資金援助に当てることを見込んでおり、「集まれば集まっただけありがたい」とも。

 今回の取材では、家が破壊され難民となり、一時各地を転々としながらも、トルコで新たな生活を営み始めている夫の家族や親戚などを中心に取材を行っていくことにしており、彼らと一緒に住み、日常をどのように過ごしているかを写真と映像で記録していくという。「トルコに来て2年目。シリアにすぐ戻るという信念で家電も買わなかった人たちが、戻れないことを受け入れて新たに土地を買って家を建てようとしている。そうした様子を取材したい。難民というと悲惨さや負のイメージがあるが、それよりも今をたくましく生きていることをクローズアップできたら」とも。

 夫の家族に会うのは7年ぶり。「内戦が始まる2カ月前に会って以来。内戦中にシリアを訪れたときは『外国人との接触はスパイ活動を疑われるから』と会うことがかなわず、それでシリアの状況が厳しいことを知った。安定してやっと会えるようになった」。2歳の息子を引き合わせることを楽しみにしているほか、「今、妊娠中で秋にも出産予定。子どもが生まれると取材には出られなくなってしまうので、今、行けるときに行きたい。子どもがいて取材に向かうことには意見があると思うが、子どもが2人になってから行くのはもっと大変。『今できることは今やる』というのが信条。息子にとっては父方の祖父、祖母に初めて会う旅になるので、自分のルーツを知ってもらいたい」と小松さん。

 「難民を撮るのではなく、今を生きる同じ人間として彼らと接して撮りたい。子連れで、妊娠してということで、通常であればデメリットのほうが多い取材だと思うが、母親だからこそ彼らの生活に入っていける部分もあると思う。今しか撮れない写真を撮りたい」とした上で、「日本ではシリアや難民についての報道は少なくなってきている。でも、難民は増える一方で、国内の情勢が安定してきても故郷に帰れない状態になっている。そのことにあまり目が向けられていない。まず、そこを知っていただきたい。故郷を離れることは人間にとって大変なことだけども、新たな土地で生活を築いていく強さが人間にはあることを伝えたい。興味を持つことで変わると思う」と期待を込める。
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2018年06月01日

八王子市出身の紅林章央氏著『橋を透して見た風景』が、東京都職員初の土木学会出版文化賞を受賞

 八王子市出身の紅林章央氏著『橋を透して見た風景』(都政新報社刊)が、東京都職員初の土木学会出版文化賞を受賞しました(^^) あめでとうございます。

 同書は、東京都内約120の橋を時代ごとに分け、建設の背景と構造などを分かりやすく解説。細分化された現代の技術を再考察し、橋の文化的側面を分かりやすく伝えたことが評価されたそうです。

 興味のある方は、ぜひ一度、お手に取りください。


【記事】
都職員初の土木学会賞受賞 紅林章央氏著『橋を透して見た風景』 橋の持つ文化的側面広く伝える
(2018年5月29日 産経新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180529-00000603-san-soci

「橋を透して見た風景」を手にする紅林章央氏
「橋を透して見た風景」を手にする紅林章央氏.jpg

 東京都建設局橋梁(きょうりょう)構造専門課長の紅林章央氏(58)の著書『橋を透(とお)して見た風景』(都政新報社刊)が、都職員初の土木学会出版文化賞を受賞した。都内約120の橋を時代ごとに分け、建設の背景と構造などを分かりやすく解説した同書は、細分化された現代の技術を再考察し、橋の文化的側面を分かりやすく伝えたことが評価された。紅林氏は「経済性を重視する風潮のなか、橋が持つ景観づくりについても今一度、注目してほしい」と喜びを語った。

 『橋を−』は江戸時代から震災復興などを経て現在にいたるまでの都内の橋の変遷を俯瞰(ふかん)し、時代背景や建設に携わった人たちの思いを紹介。経済性を優先する現在の考え方、専門分化した技術者の在り方に警鐘を鳴らすとともに、一般の読者に橋の面白さ、文化性、インフラとしての重要性を伝えている。

 紅林氏は、八王子市出身で、名古屋工業大卒業後。「ダイナミックな都市計画をしたい」と昭和60年に都庁入庁。初任地の西多摩建築事務所では橋の設計を任された。「都市計画をしたくて入庁したのに、橋の設計とはどうしたものか」と戸惑いを隠せなかったのが本音だったと振り返る。

 最初に携わったのが奥多摩大橋の建設。当時では珍しい斜張橋(橋脚上の塔から斜めに張ったケーブルで橋を支える構造)で、立案から担当。当時はまだなじみのなかったCG(コンピューターグラフィクス)を駆使し設計した。完成後、自分が手がけた作品が、立体的な物として永く残ることに強く魅力を感じた。

 本庁に異動後は、ゆりかもめ開通のため、高架橋の建設計画を担当。埋め立て地で軟弱地盤だったことから橋の構造を基礎から学ぶことができたという。

 紅林氏が所属する建設局では、個人として本を執筆するのは極めてまれだ。紅林氏は、「橋梁工学が細分化されている今、橋を一つのパッケージとして捉えてほしい」「インフラ事業の重要性を改めて認識してもらいたい」という2つの思いから執筆した。

 紅林氏は「諸外国ではインフラ整備事業の重要性が高く、2000年以降に公共事業費が減っているのは、先進国では日本だけ。この20年間で中国、韓国にも技術的に追い抜かれてしまった」と憂える。「公共事業なくして経済成長はない」という技術者の誇りをメッセージとして込めた。

 趣味は日本全国の橋の写真を撮ること。それぞれの橋が架けられた背景に思いをはせるのが醍醐味(だいごみ)だという。

 四六判。288ページ。2300円(税別)。
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