2016年04月09日

松姫さま四百年祭が、4月16日(土)に信松院(しんしょういん)で執り行われる

 松姫さま四百年祭が、2016年4月16日(土)に、信松院(八王子市台町)で執り行われます。(八王子駅南口から徒歩15分、西八王子駅から徒歩12分)

 松姫さまは、戦国武将、武田信玄の娘、お姫様で、八王子に織物の技術を伝えるなど、八王子市民に親しまれている姫さま。56歳で信松院の地で亡くなられています。

 八王子には、銘菓の松姫もなかなどもありますね(^^)
http://matuhime.co.jp/

 今年は、松姫さま四百回忌大法要となりますので、ぜひ市民の皆様の参加をお待ちしております。当日は、いろいろな屋台も登場しますよ(^^)

【記事@】
松姫さま四百年祭 4月16日(土)
(2016年3月30日 八王子観光協会)
http://www.hachioji-kankokyokai.or.jp/osusume/detail.php?q=osusume56b9320275778

松姫さま四百年祭.jpg

 武田信玄公の息女松姫さまが元和2年に亡くなってから400年経つことを記念し、4月16日(土)に松姫さま四百年祭が執り行われます。

 当日、信松院での四百回忌大法要のほか、松姫さまの生涯を学べる講談、地域の子どもたちによる稚児行列、産千代稲荷神社での長安祭などが企画されています。

(お問合せ) 松姫さま400年祭実行委員会 
八王子市台町3-18-28 TEL 042-622-6978

■ 関連資料(PDF)松姫さま四百年祭 案内チラシ
http://www.hachioji-kankokyokai.or.jp/images/pdf.php?m=os&q=osusume56b9320275778


【記事A】
いよいよ四百年祭
松姫坐像 市内をめぐる
9日から「ご開帳」16日、大法要など

(2016年4月7日号 タウンニュース八王子版)
http://www.townnews.co.jp/0305/2016/04/07/327366.html

信松院の西村住職と松姫坐像
松姫坐像.jpg

 台町の「信松院(しんしょういん)」に眠る戦国時代の尼「松姫さま」(1561-1616)の没後400年を記念したイベントが市内で行われる。4月9日(土)から15日(金)までは下恩方町の「心源院」で坐像の「ご開帳」が、16日(土)には信松院で「四百年祭」が企画されている。

 松姫は武田信玄子息女で、八王子にかかわる歴史上の人物の中でも、特に市民に愛されている存在である。今回のイベントはそれぞれゆかりのある両院等で行われる。

 「境内から出るのはおよそ300年ぶりのこと。坐像は100年祭の際に奉納されたものです」と信松院の西村和裕住職は話す。木造松姫坐像は市指定有形文化財だが今回行政の理解もあり、「外出許可」が出た。

 9日、本堂に鎮座する坐像は信松院を出発し宗関寺(元八王子町)へ向かう。ここには松姫の師匠である卜山(ぼくざん)禅師の墓所がある。「松姫様は師匠より早く亡くなったので、お墓参りをしたことがないのです。今回が初めてということになります」

「偉大な存在」

 その後、坐像は松姫が修行をした心源院へ。9日午後、そして10日(日)から15日まで「ご開帳」される。

 そして16日、坐像は信松院に戻り、いよいよ「松姫さま四百年祭」が開催される。「偉大な存在をもっと市民の皆様に知っていただきたい。イベントに参加していただくことで歴史を作ることができます」(西村さん)

 正午から坐像も列に加わっての「稚児行列」が行われる(八幡町交差点から。雨天中止)。坐像と行列一行は午後2時頃、信松院に入り、その後本堂にて「四百回忌大法要」が執り行われる。さらに女流講談師、日向ひまわりさんによる講談「松姫さまの生涯」が予定されている(いずれも奉納供養参加費が必要)。

 なお当日は同院向かいの駐車場が縁日会場となり、様々な屋台が登場する。境内では日本橋の老舗「榮太樓(えいたろう)總本鋪」の出店もある。

 八王子商工会議所女性経営者の会「シルクレイズ」による松姫にちなんだキャラ「マッピー」も参加予定。問い合わせは四百年祭実行委員会【電話】042・622・6978へ。

松姫と八王子.jpg


【記事B】2016/04/10追記
松姫お帰りなさい…きょうから400年祭
(2016年4月10日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/local/tokyotama/news/20160409-OYTNT50310.html

松姫が400年以上前に訪れたとされる総門をくぐる座像(9日、八王子市の心源院で)
松姫が400年以上前に訪れたとされる総門をくぐる座像.jpg

◆八王子・信松院の座像 思い出の心源院へ

 戦乱の世で流転の人生を歩んだ武田信玄の息女・松姫の没後400年を供養する「松姫さま四〇〇年祭」が10日から、八王子市台町の信松院などで開かれる。節目とあって、同院秘蔵の松姫座像を一般公開するなど盛大な法要が執り行われる。

 像は、得度して「信松尼(しんしょうに)」と名乗った松姫の面影を伝えようと、約200年前に作られた寄木造。通常は年に1度、命日の4月16日に一般公開されている。

 祭りに先立ち、9日には像が初めて信松院を出て、松姫が仏門に入った同市下恩方町の心源院に運ばれた。心源院には室町時代に建てられたという「総門」が残っており、像は僧侶が支える輿(こし)に乗せられて門をくぐった。桜の花と散華が舞う中、読経する僧侶と法被姿の八王子消防記念会「に組」に導かれて像が境内を進むと、出迎えた信徒からは「お帰りなさい」「きれい」と声が上がった。

 「松姫が生前に実際にくぐったはず。時を超えて思い出の場所にお連れしたかった」と信松院の西村和裕住職(50)は思いやった。

 武田信玄の娘として生まれた松姫は、織田信長の嫡男、信忠と婚約したが、両家の間で戦となり、武田家が滅亡。松姫は甲斐(現・山梨県)から峠を越え、武蔵国多摩郡恩方(現・八王子市上恩方町)に落ちのびた。

 信忠は松姫を妻に迎えたいと再び申し出たが、本能寺の変で父子ともに倒れた。信忠の死を知った松姫は22歳で出家し、武田家と信忠の冥福を祈り続けた。八王子御所水に結んだ草庵(現・信松院)では、子どもに読み書きを教えるとともに、養蚕、絹織物の技術も伝え、56歳で亡くなるまで慕われた。

 織田勢からの逃避行、婚約者の不慮の死、後に得た心の平穏――。松姫の劇的な人生はドラマや小説の題材になり、女性ファンも多い。

 西村住職は「織物の技術を伝え、桑都の礎を築いた松姫への感謝を忘れないようにしたい」と話した。

 像は15日まで心源院で特別公開。本祭の16日、八王子市八幡町の八王子織物工業組合付近から約1キロを稚児行列とともに信松院に戻り、四百回忌報恩法要に臨む。像は信松院で今月末まで一般公開される。

◆「街なかイベント」も

 16日午後1時からは、JR八王子駅北口の西放射線ユーロード沿い三崎町公園で、「松姫さま四〇〇年祭 街なかイベント」が開かれる。ゆるキャラ「松姫マッピー」出演の紙芝居が上演されるほか、午後2時と3時には、各先着200人に記念小冊子と「松姫もなか」の詰め合わせが配られる。


PS:松姫さまの数奇な人生を考えると、NHKでドラマ化すれば視聴率も取れるのではないでしょうか。ぜひNHK担当者の方、検討してくださいね。
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2016年03月30日

国史跡で「日本の100名城」の一つ「八王子城跡」の曳橋が2016年3月26日、2年半ぶりに復活、開通へ

 国史跡で「日本の100名城」の一つである八王子城跡八王子城跡の中でもシンボル的な曳橋が2016年3月26日、2年半ぶりに復活、開通しました!

 私は以前の曳橋を渡ったことがありますが、木製のとても趣のある曳橋でした。ぜひ新しい曳橋も渡ってみたいと思います(^^) 

 春の訪れとともに、皆さんもピクニックがてら、この機会に八王子城跡を訪れてみませんか(^^)

八王子城跡曳橋開通式を行いました|平成28年3月のフォトニュース(八王子市)
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/seisaku/joho/22245/053555.html
八王子城跡曳橋開通式.jpg


【記事】
お待たせ!曳橋ルート復活 八王子城跡 開通式で武者隊も渡り初め
(2016年3月27日 東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201603/CK2016032702000123.html

渡り初めの後、曳橋で勝ちどきを上げる「北条氏照隊」=八王子市で
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 老朽化のため、八王子市が架け替え工事を行った八王子城跡(元八王子町三)の曳橋(ひきはし)で、二十六日に開通式が行われた。国史跡で「日本の100名城」にもなっている八王子城跡で、シンボルの曳橋を渡り、門をくぐるルートが二年半ぶりに復活した。

 豊臣秀吉の東国攻めに備え、北条氏照が一五八〇年代に築城した八王子城。関東屈指の山城とされるが、主力軍勢が小田原城に籠城していた九〇年六月、前田利家らの猛攻で一日で落城した。

 曳橋は一九九〇年、氏照の館だった「御主殿」入り口の石垣や石畳の復元と同時に、残っていた片方の土台を生かして造られた。しかし木製だったため、谷間の湿気で橋脚などの傷みが早かった。二〇一三年九月に通行止めとなり、一五年度に鉄骨造りで再建された。長さ三十五メートル、幅四・五メートル、橋脚の高さ八・三メートル。表面の再生木材は木と樹脂が原料で湿気に強く、木の風合いもある。建設費一億九千万円は、四分の三が国と都の補助。

 開通式で石森孝志市長は「曳橋は八王子にとって重要な資源。多くの人に来てもらい、八王子の魅力を堪能してほしい」と強調。城跡をPRするNPO法人「八王子城跡三ツ鱗会」による甲冑(かっちゅう)姿の武者隊も参加し、渡り初めを行った。(村松権主麿)


※続報ブログ
【国史跡「八王子城跡」を登城。3月に新しく開通した曳橋(ひきはし)も】
http://welovehachioji.seesaa.net/article/435973271.html
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2016年02月19日

八王子城跡(元八王子町)の「曳橋」架け替え工事が2月終了、3月26日に開通式へ

 以前ブログで【進む八王子城跡の観光整備。御主殿跡を復元し一般公開】を紹介しました。
http://welovehachioji.seesaa.net/article/356843256.html

 その八王子城跡(八王子市元八王子町)ですが、「曳橋」架け替え工事が2016年2月終了し、3月26日に開通式が行われます。一般の人の通行は同日午後から可能となるそうですよ(^^)

 戦国時代と同様、谷沿いの道から曳橋を渡り、門をくぐるルートが2年半ぶりに復活します。皆さん、曳橋開通後に八王子城跡に出かけてみませんか(^^)

【記事】
曳橋から思う戦乱の世 八王子城跡の象徴を復活へ
(2016年2月19日 東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201602/CK2016021902000159.html

架け替え工事がほぼ終わり、3月26日に開通式が行われる曳橋=八王子市で
八王子城跡.jpg

 八王子市が八王子城跡(元八王子町3)で行っている「曳橋(ひきはし)」の架け替え工事が月内に終わり、3月26日に開通式が行われる。城跡のシンボルとして親しまれるデザインを踏襲する一方、木造から鉄骨造りに変更して耐久性が向上。戦国時代と同様、谷沿いの道から曳橋を渡り、門をくぐるルートが2年半ぶりに復活する。 (村松権主麿)

 関東屈指の山城とされる八王子城は、自然の地形を生かした攻撃への備えが特徴だった。城主の北条氏照が館とした御主殿は、南側に城山川の谷があり、曳橋を渡らなければ城に入れなかった。曳橋の名は、敵が攻めてきた時、床板を引いて外し、渡れなくしたことが由来とされる。

 市は落城四百年にあたる一九九〇年、一億五千万円かけて御主殿入り口の石垣や石畳を復元し、木製の曳橋も建設した。ただ、城側の橋の土台は林道を通した際に削られており、残されていた反対側の土台を生かし、戦国時代をイメージしたデザインが採用された。

 橋を渡って石垣の階段を上り、御主殿のある広場に出るルートが人気に。二〇〇六年に「日本の100名城」に選ばれると、来訪記念のスタンプに曳橋があしらわれ、天守閣のない城跡のシンボルとなっている。

 しかし谷間で日陰がちになり、湿気が多いため木の傷みが早く進み、一三年九月には通行禁止に。昨年五月に架け替え工事が始まった。

 設計にあたり「本来の橋と同じデザインにするべきでは」と指摘があり、市文化財課が古文書などを調べたが、記録は見つからなかった。そのため、「イメージが定着している」(中正由紀課長)建て替え前のデザインに落ち着いた。

 大きさもほぼ踏襲し、長さ三十五メートル、幅四・五メートル、橋脚の高さ八・三メートル。多湿に耐えるよう鉄骨造りに変更し、木と樹脂を原料とする再生木材を表面に張って木の質感を残した。建設費の一億九千万円は、四分の三が国と都の補助。

 橋は完成しており、今後は周辺整備が行われる。中正課長は「城跡を回遊できる曳橋の復活は、待ち望まれていた。橋から城跡を見上げ、戦国時代に思いをはせてもらいたい」と話す。

 二十六日の開通式は午前九時半から。一般の人の通行は午後から可能となる。JR・京王線高尾駅北口からバス、「霊園前・八王子城跡入口」下車。駐車場あり。

 <八王子城> 豊臣秀吉の東国攻めに備え、同じ八王子の滝山城を居城としていた北条氏照が1580年代、深沢山(標高460メートル)に築城した。90年6月、氏照ら主力軍勢が小田原城に籠城するなか、守りが手薄になった八王子城は前田利家らの猛攻により一日で落城。その後、城跡では大きな開発が行われず、標高約270メートルにある御主殿の遺構や石垣などは良好な状態で残され、1951年に国史跡に指定された。
posted by 銀河流星 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 八王子カルチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする