2016年04月15日

八王子隕石に関する企画展が、「コニカミノルタサイエンスドーム」と「八王子市郷土資料館」2カ所で開催中

 八王子隕石に関する展示が、「コニカミノルタサイエンスドーム(八王子市大横町)」(2016年3月10日〜4月24日)と「八王子市郷土資料館(八王子市上野町)」(2016年4月3日〜5月8日)の2カ所で開催中です(^^)

 このブログで八王子の名を冠する「ハチオウジゾウhttp://welovehachioji.seesaa.net/article/257494334.html や 小惑星「八王子http://welovehachioji.seesaa.net/article/358103272.html などを紹介していますが、八王子隕石もあったのですね(^^)

 皆さん、ぜひ八王子隕石の企画展に出かけてみませんか(^^)

コニカミノルタ サイエンスドーム
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kyoiku/gakushu/sciencedome/
八王子市郷土資料館
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/shisetsu/28254/028261.html


【記事@】
八王子隕石の謎に迫る 2施設で企画展
(2016年4月13日 東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201604/CK2016041302000176.html

 こども科学館では八王子隕石のかけらをルーペで拡大して見られる。かけらが入っていた包み紙(右)には「隕石の事」の文字も=八王子市で
八王子隕石.jpg

 江戸時代後期の一八一七(文化十四)年、現在の八王子、日野、多摩の各市に隕石(いんせき)の雨が降った。国内で落下の記録が残るうちでは、五番目に古い「八王子隕石」だ。来年で二百年の節目を迎えるのを前に、実物を展示したり、当時の文献などを紹介したりする企画展が八王子市の二施設で開かれている。(村松権主麿)

◆こども科学館 現存唯一の実物展示

 市こども科学館「コニカミノルタサイエンスドーム」(大横町)は「八王子隕石と小惑星探査機はやぶさ」を二十四日まで開催している。はやぶさと関連させたのは、小惑星イトカワで採取してきた岩石サンプルが同様の成分で、隕石が元は小惑星だったと確認されたため。

 最大の目玉は、現存する唯一の八王子隕石とされる大きさ五ミリ四方、重さ〇・一グラムのかけらだ。朝廷で天文や暦を担当した土御門(つちみかど)家の文書から一九五〇年ごろに見つかり、分析の結果、八王子隕石と確認された。

 今回は、所蔵する国立科学博物館筑波研究施設(茨城県つくば市)から、隕石を包んでいた紙などとともに借り受けて展示。科学館は、同様に隕石のかけらが旧家などに眠っているのではないかと期待しており、同館の森融(とおる)さんは「蔵や仏壇、神棚に、紙に包んだ石があれば連絡してほしい」と呼び掛けている。

 ほかに、はやぶさの軌跡や隕石と小惑星の関係をパネルで説明し、八王子隕石について記した文献を分かりやすく紹介。森さんは「太陽系の惑星のもとができ始めた四十六億年くらい前、小惑星は誕生した。八王子隕石から太陽系の始まりを想像してほしい」とも話した。

 入館料二百円(四歳〜中学生百円)。月曜休館で、土日祝日は午前十時〜午後五時(平日は正午から)。二十三日午後二〜四時に森さんが講演会「古文書から発見された八王子隕石」を行う。定員八十人。申し込みと問い合わせは、こども科学館=電042(624)3311=へ。

◆郷土資料館 古文書など50点説明添え

 市郷土資料館(上野町)は「八王子隕石と江戸時代の天文」を五月八日まで開いている。八王子隕石を記録した文書など約五十点を説明の文章を添えて展示。江戸時代の天文学と暦の関係などをまとめたコーナーもある。

 江戸時代、幕府に仕えた八王子の半士半農の集団「千人同心」の組頭が書いた「桑都(そうと)日記」には、雷のような音が聞こえ、白雲がたなびいていたと記されている。やはり千人同心に所属した石川家の当主が代々書き継いだ「石川日記」には、隕石の落下した日は晴天で、今の時刻で午後二時ごろに音がして、石が降ったと書かれている。

 地元の代官から報告を受け、天体観測や暦の作成をする幕府の天文方が、静岡県熱海市の伊豆権現(伊豆山神社)の山中から飛んだと結論づけた文書もコピーで紹介している。


 学芸員の加藤典子さんは「当時の人たちが隕石に興味を持って調べ、うわさ話として広がった面白さを感じてほしい」と話している。入館無料。午前九時〜午後五時で月曜休館。問い合わせは郷土資料館=電042(622)8939=へ。

 <八王子隕石> 1817年12月29日(文化14年11月22日)、江戸の東から西に飛び、八王子周辺に落下した。多摩川上空辺りで爆発、飛び散ったと推測される。江戸は大騒ぎになり、少なくとも18の文献に記録が残る。現在の中央区で目撃された記録によると「火の玉が飛んだ」などと記されている。落下後は長さ約90センチのものも含めて大量に集められたが、幕府の天文方が山の噴石と結論したことも一因となって散逸したと考えられている。


【記事A】
200年前に八王子に隕石、破片を探しています
(2016年4月3日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/20160402-OYT1T50021.html

コニカミノルタサイエンスドームで展示されている隕石のかけら(重さ0.2グラム)
八王子隕石2.jpg

 今から約200年前、現在の東京都八王子市を中心に隕石(いんせき)の雨が降り、大騒動となったとされる。

 昼間の空を轟音(ごうおん)とともに火の玉が東から西に横切った様子が、各地の古文書に残されているのだ。ところが隕石そのものは現在、ほんのかけらしか残っていない。約200年がたち、このほど同市の資料館などで隕石の特別展が開催され、自宅や寺社に隕石が残っていないか情報提供を呼びかけている。

 隕石が落ちたのは文化14年(1817年)12月29日午後2時頃。江戸の上空を甲州街道に沿う形で、明るい火の玉が雷鳴のような音とともに駆け抜け、たなびく雲を残し、八王子周辺の各地で石が降ったという。

 石は名主などを通じて集められ、幕府に届けられた。正確な合計重量は不明だが、大きなものは長さ90センチほどもあったという。

 石は幕府天文方で調べられたが、正体不明で「火山噴火で吹き飛んだのでは」などとされた。江戸市中では「富士山麓で大筒の試し撃ちをした」「山から巨大なほら貝が抜け出た」などの流言が飛び交った。

 当時の江戸市民の不安と騒ぎは、人気テレビ時代劇「暴れん坊将軍」でも描かれ、マニアの間では人気の回として知られている。

 隕石はその後四散してしまっていたが、戦後しばらくして京都の旧家から「八王子に落ちた隕石」の文書とともに米粒ほどのかけらが見つかった。国立科学博物館の分析で隕石と認定され、国際隕石学会に「八王子隕石」として登録された。

 同博物館蔵の八王子隕石は普段は非公開。今回は特別に里帰りし、コニカミノルタサイエンスドーム(八王子市大横町)で特別展「八王子隕石と小惑星探査機はやぶさ」の目玉として公開されている(24日まで)。

 また、同市郷土資料館では3日から5月8日まで、企画展「八王子隕石と江戸時代の天文」として、天変地異を伝える古文書を展示し、当時の人々の驚きを紹介する。

 同ドームの森融課長補佐は「家の神棚や仏壇を調べて、紙などに包まれた石がないか調べてほしい」と貴重な資料の再発見への協力を呼びかけている。森さんによると、「石は普通の石より重みがあり、外側は黒くて内側は白く、磁石が付く」そうだ。
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2016年04月09日

松姫さま四百年祭が、4月16日(土)に信松院(しんしょういん)で執り行われる

 松姫さま四百年祭が、2016年4月16日(土)に、信松院(八王子市台町)で執り行われます。(八王子駅南口から徒歩15分、西八王子駅から徒歩12分)

 松姫さまは、戦国武将、武田信玄の娘、お姫様で、八王子に織物の技術を伝えるなど、八王子市民に親しまれている姫さま。56歳で信松院の地で亡くなられています。

 八王子には、銘菓の松姫もなかなどもありますね(^^)
http://matuhime.co.jp/

 今年は、松姫さま四百回忌大法要となりますので、ぜひ市民の皆様の参加をお待ちしております。当日は、いろいろな屋台も登場しますよ(^^)

【記事@】
松姫さま四百年祭 4月16日(土)
(2016年3月30日 八王子観光協会)
http://www.hachioji-kankokyokai.or.jp/osusume/detail.php?q=osusume56b9320275778

松姫さま四百年祭.jpg

 武田信玄公の息女松姫さまが元和2年に亡くなってから400年経つことを記念し、4月16日(土)に松姫さま四百年祭が執り行われます。

 当日、信松院での四百回忌大法要のほか、松姫さまの生涯を学べる講談、地域の子どもたちによる稚児行列、産千代稲荷神社での長安祭などが企画されています。

(お問合せ) 松姫さま400年祭実行委員会 
八王子市台町3-18-28 TEL 042-622-6978

■ 関連資料(PDF)松姫さま四百年祭 案内チラシ
http://www.hachioji-kankokyokai.or.jp/images/pdf.php?m=os&q=osusume56b9320275778


【記事A】
いよいよ四百年祭
松姫坐像 市内をめぐる
9日から「ご開帳」16日、大法要など

(2016年4月7日号 タウンニュース八王子版)
http://www.townnews.co.jp/0305/2016/04/07/327366.html

信松院の西村住職と松姫坐像
松姫坐像.jpg

 台町の「信松院(しんしょういん)」に眠る戦国時代の尼「松姫さま」(1561-1616)の没後400年を記念したイベントが市内で行われる。4月9日(土)から15日(金)までは下恩方町の「心源院」で坐像の「ご開帳」が、16日(土)には信松院で「四百年祭」が企画されている。

 松姫は武田信玄子息女で、八王子にかかわる歴史上の人物の中でも、特に市民に愛されている存在である。今回のイベントはそれぞれゆかりのある両院等で行われる。

 「境内から出るのはおよそ300年ぶりのこと。坐像は100年祭の際に奉納されたものです」と信松院の西村和裕住職は話す。木造松姫坐像は市指定有形文化財だが今回行政の理解もあり、「外出許可」が出た。

 9日、本堂に鎮座する坐像は信松院を出発し宗関寺(元八王子町)へ向かう。ここには松姫の師匠である卜山(ぼくざん)禅師の墓所がある。「松姫様は師匠より早く亡くなったので、お墓参りをしたことがないのです。今回が初めてということになります」

「偉大な存在」

 その後、坐像は松姫が修行をした心源院へ。9日午後、そして10日(日)から15日まで「ご開帳」される。

 そして16日、坐像は信松院に戻り、いよいよ「松姫さま四百年祭」が開催される。「偉大な存在をもっと市民の皆様に知っていただきたい。イベントに参加していただくことで歴史を作ることができます」(西村さん)

 正午から坐像も列に加わっての「稚児行列」が行われる(八幡町交差点から。雨天中止)。坐像と行列一行は午後2時頃、信松院に入り、その後本堂にて「四百回忌大法要」が執り行われる。さらに女流講談師、日向ひまわりさんによる講談「松姫さまの生涯」が予定されている(いずれも奉納供養参加費が必要)。

 なお当日は同院向かいの駐車場が縁日会場となり、様々な屋台が登場する。境内では日本橋の老舗「榮太樓(えいたろう)總本鋪」の出店もある。

 八王子商工会議所女性経営者の会「シルクレイズ」による松姫にちなんだキャラ「マッピー」も参加予定。問い合わせは四百年祭実行委員会【電話】042・622・6978へ。

松姫と八王子.jpg


【記事B】2016/04/10追記
松姫お帰りなさい…きょうから400年祭
(2016年4月10日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/local/tokyotama/news/20160409-OYTNT50310.html

松姫が400年以上前に訪れたとされる総門をくぐる座像(9日、八王子市の心源院で)
松姫が400年以上前に訪れたとされる総門をくぐる座像.jpg

◆八王子・信松院の座像 思い出の心源院へ

 戦乱の世で流転の人生を歩んだ武田信玄の息女・松姫の没後400年を供養する「松姫さま四〇〇年祭」が10日から、八王子市台町の信松院などで開かれる。節目とあって、同院秘蔵の松姫座像を一般公開するなど盛大な法要が執り行われる。

 像は、得度して「信松尼(しんしょうに)」と名乗った松姫の面影を伝えようと、約200年前に作られた寄木造。通常は年に1度、命日の4月16日に一般公開されている。

 祭りに先立ち、9日には像が初めて信松院を出て、松姫が仏門に入った同市下恩方町の心源院に運ばれた。心源院には室町時代に建てられたという「総門」が残っており、像は僧侶が支える輿(こし)に乗せられて門をくぐった。桜の花と散華が舞う中、読経する僧侶と法被姿の八王子消防記念会「に組」に導かれて像が境内を進むと、出迎えた信徒からは「お帰りなさい」「きれい」と声が上がった。

 「松姫が生前に実際にくぐったはず。時を超えて思い出の場所にお連れしたかった」と信松院の西村和裕住職(50)は思いやった。

 武田信玄の娘として生まれた松姫は、織田信長の嫡男、信忠と婚約したが、両家の間で戦となり、武田家が滅亡。松姫は甲斐(現・山梨県)から峠を越え、武蔵国多摩郡恩方(現・八王子市上恩方町)に落ちのびた。

 信忠は松姫を妻に迎えたいと再び申し出たが、本能寺の変で父子ともに倒れた。信忠の死を知った松姫は22歳で出家し、武田家と信忠の冥福を祈り続けた。八王子御所水に結んだ草庵(現・信松院)では、子どもに読み書きを教えるとともに、養蚕、絹織物の技術も伝え、56歳で亡くなるまで慕われた。

 織田勢からの逃避行、婚約者の不慮の死、後に得た心の平穏――。松姫の劇的な人生はドラマや小説の題材になり、女性ファンも多い。

 西村住職は「織物の技術を伝え、桑都の礎を築いた松姫への感謝を忘れないようにしたい」と話した。

 像は15日まで心源院で特別公開。本祭の16日、八王子市八幡町の八王子織物工業組合付近から約1キロを稚児行列とともに信松院に戻り、四百回忌報恩法要に臨む。像は信松院で今月末まで一般公開される。

◆「街なかイベント」も

 16日午後1時からは、JR八王子駅北口の西放射線ユーロード沿い三崎町公園で、「松姫さま四〇〇年祭 街なかイベント」が開かれる。ゆるキャラ「松姫マッピー」出演の紙芝居が上演されるほか、午後2時と3時には、各先着200人に記念小冊子と「松姫もなか」の詰め合わせが配られる。


PS:松姫さまの数奇な人生を考えると、NHKでドラマ化すれば視聴率も取れるのではないでしょうか。ぜひNHK担当者の方、検討してくださいね。
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2016年03月30日

国史跡で「日本の100名城」の一つ「八王子城跡」の曳橋が2016年3月26日、2年半ぶりに復活、開通へ

 国史跡で「日本の100名城」の一つである八王子城跡八王子城跡の中でもシンボル的な曳橋が2016年3月26日、2年半ぶりに復活、開通しました!

 私は以前の曳橋を渡ったことがありますが、木製のとても趣のある曳橋でした。ぜひ新しい曳橋も渡ってみたいと思います(^^) 

 春の訪れとともに、皆さんもピクニックがてら、この機会に八王子城跡を訪れてみませんか(^^)

八王子城跡曳橋開通式を行いました|平成28年3月のフォトニュース(八王子市)
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/seisaku/joho/22245/053555.html
八王子城跡曳橋開通式.jpg


【記事】
お待たせ!曳橋ルート復活 八王子城跡 開通式で武者隊も渡り初め
(2016年3月27日 東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201603/CK2016032702000123.html

渡り初めの後、曳橋で勝ちどきを上げる「北条氏照隊」=八王子市で
八王子城跡 曳橋 開通.jpg

 老朽化のため、八王子市が架け替え工事を行った八王子城跡(元八王子町三)の曳橋(ひきはし)で、二十六日に開通式が行われた。国史跡で「日本の100名城」にもなっている八王子城跡で、シンボルの曳橋を渡り、門をくぐるルートが二年半ぶりに復活した。

 豊臣秀吉の東国攻めに備え、北条氏照が一五八〇年代に築城した八王子城。関東屈指の山城とされるが、主力軍勢が小田原城に籠城していた九〇年六月、前田利家らの猛攻で一日で落城した。

 曳橋は一九九〇年、氏照の館だった「御主殿」入り口の石垣や石畳の復元と同時に、残っていた片方の土台を生かして造られた。しかし木製だったため、谷間の湿気で橋脚などの傷みが早かった。二〇一三年九月に通行止めとなり、一五年度に鉄骨造りで再建された。長さ三十五メートル、幅四・五メートル、橋脚の高さ八・三メートル。表面の再生木材は木と樹脂が原料で湿気に強く、木の風合いもある。建設費一億九千万円は、四分の三が国と都の補助。

 開通式で石森孝志市長は「曳橋は八王子にとって重要な資源。多くの人に来てもらい、八王子の魅力を堪能してほしい」と強調。城跡をPRするNPO法人「八王子城跡三ツ鱗会」による甲冑(かっちゅう)姿の武者隊も参加し、渡り初めを行った。(村松権主麿)


※続報ブログ
【国史跡「八王子城跡」を登城。3月に新しく開通した曳橋(ひきはし)も】
http://welovehachioji.seesaa.net/article/435973271.html
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