2018年09月07日

多摩織の伝統技術を持つ沢井織物工場(八王子市高月町)が、生地の開発で米グーグルに協力も

 八王子市高月町にある沢井織物工場は、東京都から伝統工芸品として指定されている多摩織(たまおり)の技法を100年以上承継する江戸時代から続く織物の老舗です。

 最近では、ネクタイやストールなど洗練されたデザインを取り入れた新製品や、大手企業との開発に挑み、多摩織の技法を応用し、生地の開発で米グーグルに協力。織物の新たな可能性を見いだしています(^^)

 八王子の誇る伝統技術と、最新技術が織り成すワザ。「伝統と先端」、まさに八王子市が目指す街づくりのキーワードになるのではないでしょうか(^^)


【東京の伝統工芸品】東京都産業労働局商工部ホームページ
現在、41の伝統工芸品が東京都の伝統工芸品として指定されています。多摩織もその一つです。
http://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.jp/shoko/dentokogei/japanese/hinmoku/7-tamaori.html
多摩織.jpg

「澤井織物工場(さわいおりものこうじょう)」
http://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.jp/shoko/dentokogei/japanese/taiken/detail06.html
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古くから絹の道・桑の都と言われた八王子北部で、絹織物の技を100年以上にわたり伝承している工房。
伝統的な「綴れお召し織(つづれおめしおり)」「風通織(ふうつうおり)」「粋紗織(すいしゃおり)」の着尺(きじゃく)・袴地(はかまじ)が代表作です。
柔らかい風合いの楊柳(ようりゅう)ストールやネクタイなどのおしゃれな洋装小物も魅力にあふれています。

《見学・体験情報》
フル回転するシャトル織機(しょっき)を備えた作業場など4か所を見学できます。 高機(たかばた)でつくるテーブルセンター。手織りの楽しさを気軽に体験できます。


【記事】
グーグルが江戸時代から続く織物の老舗に依頼したこと
沢井織物工場、多摩織の技法で新たな可能性見出す
(2018年8月31日 ニュースイッチ)
https://newswitch.jp/p/14261

新製品開発の傍ら後進の育成にも力を入れる伝統工芸士の沢井社長
新製品開発の傍ら後進の育成にも力を入れる伝統工芸士の沢井社長.jpg

 沢井織物工場(東京都八王子市、沢井伸社長、042・691・1032)は、伝統工芸品である多摩織の技法を承継し、江戸時代から続く織物の老舗。一方、ネクタイやストールなど洗練されたデザインを取り入れた新製品や、大手企業との開発に挑む。多摩織の技法を応用し、織物の新たな可能性を見いだす。

 多摩織は「お召織」「紬(つむぎ)織」「風通(ふうつう)織」「変(かわ)り綴(つづれ)織」「捩(もじ)り織」の5種類の織り方があり、1種類または複数を組み合わせる。原料は生糸、玉糸、真綿の紬糸などを使う。糸繰りから整経、絣括(かすりくく)り、染色、機巻き、綜光(そうこう)通し、手織りを経て完成までに早くても2カ月。職人が丹精込めて仕上げていく。生地に風合いがあり、しわになりにくいのが特長だ。

 近年は着物文化の衰退と共に生地生産が減り、多摩織を継承する職人も減少している。その中で、沢井織物工場は織物の新たな活路を見いだそうと洋装や雑貨製品の生産比率を高めるほか、デザイナーズブランドのOEM(相手先ブランド)も手がけ消費者に親しみやすい切り口でアプローチする。

 織物の技術をこれまでにない発想で、企業や団体と共同開発する事例も増えてきた。例えば反射材を生地に織り込んだ帽子。歩行の安全を確保しながらしっかりとした生地に帽子のデザイン性を確保した。

帽子に反射材を織り込み歩行の安全を確保しつつデザイン性も確保
帽子に反射材を織り込み歩行の安全を確保しつつデザイン性も確保.jpg

 最新の技術を駆使した開発にも参画する。米グーグルから依頼を受けウエアラブルにかかわる生地の開発に協力した。電気を通す横糸と、ICチップを布に縫い込み、タッチパネルのような生地の試作開発にかかわった。

 沢井社長は「分野を問わずいろいろなメーカーから引き合いがある」といい、繊維や素材の試作から製品評価まで研究開発を支援する東京都立産業技術研究センター(多摩テクノプラザ)に通い詰めるほどだ。ハイテク企業が日本の伝統技術を取り入れ始めている。

【メモ】
八王子では平安時代末頃に絹が織られ、滝山紬や横山紬などの織物があった。室町後期、多摩川のほとりにやってきた北条氏が織物を領民の勧業策として奨励。明治以降、技術の進歩とともに今日の八王子織物の基盤ができた。1980年、手工業的な数種の織物を多摩織として統一し、伝統的工芸品として指定を受けた。
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2018年09月02日

名門の将棋道場「八王子将棋クラブ」が、2018年12月閉所へ。存続へ有志の立ち上げを期待

 とても残念なニュースがありました。

 国民栄誉賞を授与された羽生善治(はぶ よしはる)現竜王をはじめ、中村太地王座(30)ら、数多くの棋士・女流棋士を輩出した名門の将棋道場「八王子将棋クラブ」(八王子市横山町)が、2018年12月末に閉所することがわかりました(><)

 閉所の理由は、オーナーの八木下征男(ゆきお、75歳)氏の体調不安と、八王子将棋クラブが入っているビルが2019年1月からリニューアル工事に入り、一度退去する必要が生じたからだそうです。

 あまたのトップ棋士を生んできた名門「八王子将棋クラブ」が、八王子市からなくなるのは、八王子にとって大きな損失だと思います。

 ぜひ有志が、「八王子将棋クラブ」をそのまま引き継ぐか、のれん分けしてもらい「八王子将棋クラブ」を存続させるべきです。

 貴重な八王子の伝統財産が、消滅することはぜひ避けるべきでしょう。今まさに有志の立ち上げを期待したいと思います。


【記事@】
羽生竜王生んだ名門「八王子将棋クラブ」が閉所…ビル老朽化と八木下席主の体調考慮
(2018年8月29日 スポーツ報知)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180828-00000294-sph-ent

1982年夏の八王子将棋クラブ。小6の羽生善治現竜王(前列左端)、後に十八世名人資格保持者となる森内俊之現九段(前列左から3人目)も同所を訪れていた
1982年夏の八王子将棋クラブ。小6の羽生善治現竜王.jpg

 将棋の羽生善治竜王(47)や中村太地王座(30)ら数多くの棋士・女流棋士を輩出した名門「八王子将棋クラブ」(東京都八王子市)が年内限りで閉所されることが28日、分かった。理由は、ビルの老朽化による改修と席主・八木下征男さん(75)の体調面。1977年のオープンから41年の歴史に幕を下ろすことになった八木下さんは、スポーツ報知の取材に「寂しいですが、良い人々に恵まれた良い人生でした」と語った。

 既に羽生竜王ら教え子の棋士たちにも閉所の事実を伝えた八木下さんは「寂しいですけど、遅かれ早かれ決断しなくてはいけないことでした。長く続けてボロボロになるより、今やめた方がいいと思いました」と決断に至る思いを語った。入居するビルが老朽化のため来年1月から改修工事に入ることに。さらに、週3回の人工透析を受けながら道場に立ち続けている八木下さん自身の体調を考慮し、閉所を決めた。

 将棋史を語る上で不可欠な場所となった「八王子将棋クラブ」は77年オープン。サラリーマンだった八木下さんが大好きな将棋を仕事にするため、一念発起して退社し、生まれ故郷に開所した。当時の将棋道場は大人のたまり場という側面もあったが、あえて完全禁煙にして子供が来やすい環境を整え、会報「八将タイムス」も発行。誰もが親しめる場所に育て上げた。

 開所の翌夏に訪れたのが将棋を始めて1年、7歳の羽生竜王だった。まだ初心者同然ながら、旺盛な好奇心に光るものを感じた八木下さんは、羽生少年のために通常の最下級「7級」より大幅に低い「15級」を設定。ステップアップする喜びを知った少年は急成長し、小6で棋士養成機関「奨励会」に入る頃には名人候補と呼ばれるようになっていた。「羽生さんは偉大で、素晴らしい人でもあります。羽生さんだけでなく、良い人々に巡り合えた良い人生でした」(八木下さん)。羽生竜王はクラブでの指導対局を毎年欠かしていない。

 96年に羽生7冠が誕生して道場の名が知れ渡ると、多くの子供たちが門を叩いた。中村王座、阿久津主税八段、村山慈明七段ら後の強豪たちが続々と巣立つ全国でも類を見ない名門になった。八木下さんは「去年、中村さんが羽生さんからタイトルを取って、阿久津さんがA級に復帰し、増田(康宏六段)君が新人王戦で連覇して、みんなが花を咲かせたことも決断する理由になりました」と明るい口調で語っていた。


【記事A】
羽生竜王の「原点」愛されつつ 八王子将棋クラブ閉店へ 中村王座・阿久津八段ら輩出
(2018年8月29日 朝日新聞)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13656459.html?_requesturl=articles%2FDA3S13656459.html&rm=150

八王子将棋クラブで開かれた大会の参加者ら。前列右が小学生の時の羽生竜王。その左は森内俊之九段。左手前が八木下征男さん=1982年3月、八木下さん提供
八王子将棋クラブで開かれた大会の参加者ら。前列右が小学生の時の羽生竜王.jpg

 少年時代の羽生善治竜王(47)、中村太地(たいち)王座(30)らが腕を磨いた八王子将棋クラブ(東京都八王子市)が12月末で閉店することになった。オーナーが体調がすぐれない中で続けてきたが、入居するビルの老朽化も重なって決断した。数々の棋士が輩出した有名道場が、40年余の歴史に幕を下ろす。

 JR八王子駅から徒歩5分。ビルの3階にある同クラブは、週末になると1日60〜70人が対局を楽しむ。オーナーの八木下征男(ゆきお)さん(75)は「羽生竜王が(タイトル独占の)『七冠』になった1996年頃が一番のブームで、1日100人ぐらい来た」と振り返る。

 八木下さんは77年、勤めていた会社を退職して同クラブを開いた。自身が常連だった八王子の将棋クラブがなくなったのを機に、一念発起した。「自分が残念な思いをしたので、将棋ファンが楽しめる場所を作りたかった」。その翌年に八王子将棋クラブに来たのが、当時小学2年の羽生少年だった。

 羽生竜王はここで腕を上げ、小学6年の時に小学生名人戦で優勝。中学3年でプロ入りを果たし、大きく飛躍した。その後も、名人挑戦権を争うA級順位戦に所属する阿久津主税(ちから)八段(36)、新人王戦2連覇などの実績がある増田康宏六段(20)らが巣立った。

 中村王座は小学2年の時に通い始めた。土日は、営業開始から夕方まで将棋を指し続けた。「対局の際のあいさつなど、マナーもここで学んだ。八木下さんは包み込むような優しさがある方。思い入れのある道場なので寂しい」

 八木下さんはクラブで子ども大会を開くなど、子どもの育成に力を入れてきた。30年ほど前に現在地に移転した際には、「子どもや女性が入りやすいように」という配慮でクラブを禁煙にした。最近は、高校生棋士藤井聡太七段(16)の活躍に伴う将棋ブームで、客の半数近くが子どもの時もあるという。

 八木下さんは人工透析を週3回受けるなど、近年は体調が思わしくないため、閉店は以前から考えていたという。入居するビルの改修工事に伴って、一度退去する必要が生じたことから、12月末で営業をとりやめることになった。今月、自ら発行するクラブの会報で常連客に伝えた。

 「未練はあるが、いつかはこういう時が来る。これだけ人が育って、プロとして大成したのはこの上ない喜びです」

 羽生竜王は「自分にとっても原点と言えるような道場。子供もたくさん訪れる場所で、とても残念です」と惜しんだ。(村瀬信也)
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2018年08月04日

八王子花柳界の組合(三業組合)の事務所「見番(けんばん)」が建て替え。7月25日から3日間お披露目会。2階に「稽古場・舞台」が誕生

 八王子花柳界の組合(三業組合)の事務所「見番(けんばん)」(八王子市南町)が建て替えられ、2018年7月25日から3日間お披露目会が開催されました(^^)

 新しくなった見番は、スペースが広がった点と、2階の「稽古場・舞台」が大きなポイントで、今まで難しかった芸者衆が集まっての稽古もできるようになったそうです(^^)

 八王子花柳界は、八王子伝統文化を伝える貴重な存在です。今後もますます華やかになっていくといいですね(^^)


【記事】
花街の象徴 「見番」新装
60年ぶり 舞台も復活
掲載号:2018年8月2日号 タウンニュース八王子版
https://www.townnews.co.jp/0305/2018/08/02/442908.html

お披露目会の様子。舞台左から芸者のまどかさん、めぐみさん、小太郎さん
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 八王子三業会館(南町)による花柳界の組合の事務所、通称「見番(けんばん)」が建て替えられ、7月25日からお披露目会が行われた。25日は市内の飲食関係者30人を「稽古場」に招き、八王子芸者衆は「復活」した舞台で祝いの舞踏「鶴亀」などを披露した。

新しくなった「見番」。延べ床面積はおよそ100平方メートル
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 見番とは料理屋・待合・置屋で構成される花柳界の組合(三業組合)の事務所。芸者本「八王子芸者衆に花束を。」(風声舎/浅原須美著)によると、八王子の見番は戦前から「花街繁栄の象徴」として存在感を示していた。

 かつてあった建物は「立派なもの」で、昼間はそこから三味線や太鼓の稽古の音が聞こえ、夜は遅くまで灯りがともり、150人ほどの芸者が出入りをしていたと言われる。百畳敷の大広間、そして舞台もあった。1945年の八王子空襲で焼失した。

戦前の見番。八王子市郷土資料館蔵・昭和6年発行「大日本職業別明細図」掲載
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 戦後1952年には再建されたものの花柳界の衰退とともに、1984年に舞台付きの稽古場など一部を取り壊し。事務所(1階)と和室(2階)のみの建物になった。

念願の稽古場

 「60年以上つかってきたので老朽化がもっとも大きな要因。あと、お稽古場を設けるため。約2倍の広さになりました」。八王子三業組合の大洞敏男会長(坂福代表)は今回の建て替えを説明する。

 これまでの見番は今年2月に解体。4月から新築工事が始まった。新しくなった見番は、スペースが広がった点と、2階の「稽古場・舞台」が大きなポイント。今までなかなか難しかった芸者衆が集まっての稽古もできるようになった。一部床材に「桜の木」を用いるなど「粋」な造りも感じられる。

 舞台の背景には若手の職人による大きな松の絵が描かれた。音響機器、照明設備も充実させた。なお、それらのための資金は芸者衆が10年間にわたり貯めてきたもので、大洞さんは「彼女たちの心意気」と話した。

 お披露目会は3日間にわたり開かれた。25日は飲食関係者が中心に招かれ、挨拶にたった八王子エルシィ(八日町)の佐怒賀達矢社長は「飲食店は三業組合を支える仲間の一員。芸者衆のことをもっと広めて、支援をしていきたい」と話した。

鏡開きの様子
八王子花柳界の組合の事務所「見番」4.jpg

 置屋ゆき乃恵のめぐみさんは「何十年かの夢が叶いました。みなさまのご支援のおかげです」と喜んだ。
posted by 銀河流星 at 23:00| Comment(0) | 八王子カルチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする