2017年12月16日

昭和初期の貴重な建物「芳林閣(ほうりんかく)」(八王子市大和田町)

 皆さん、八王子市大和田町に「芳林閣ほうりんかく)」という昭和初期の貴重な建物があることをご存知ですか?

 建物を所有・管理する木崎忠重氏(木ざき社長)が、住む人もなく老朽化が進んだため解体することを検討しましたが、市内では戦前の建物や庭園が昭和20年の空襲と最近の再開発とで失われているため、織物業が発展した時代を伝える建物として貴重であると考え、平屋に改修して1階部分を再利用することにしました。

 まず、この貴重な建物を改修し、再利用できるようにしてくださった木崎忠重氏の英断に感謝申し上げたいと思います。

 総檜造りの「書院風建築」に、約1,000坪の敷地には庭園も復元され、200種1,000本の樹木の緑であふれています。

 この素晴らしい私有庭園は、一部を公開し、音楽会や俳句の会、同窓会などに使われています。皆さんもぜひご利用ください(^^)

芳林閣 https://www.horinkaku.com/blank

 八王子の織物業が繁栄していた昭和10年(1935)頃に、木ア茂重が木ア紡織合名会社の迎賓館的な建物として建造準備を始め、昭和17年に完成した軸組伝統構法による総檜造りの書院風建築です。二階(30坪)には宴会場がありました。
それから60年が過ぎ、住む人もなく老朽化が進んだため解体することを検討しましたが、市内では戦前の建物や庭園が昭和20年の空襲と最近の再開発とで失われているため、織物業が発展した時代を伝える建物として貴重であると考え、平屋に改修して1階部分を再利用することにしました。
平成13年(2001)の改修工事では、原型を損なわぬよう設備を改善して、地域の皆様が伝統文化に親しむ場としてご利用いただけるようにしました。庭園の改修で多くの樹木に囲まれた家となったことから「芳林閣」と名付けました。


【記事@】
建築へ/木崎忠重氏が語る「芳林閣」復元/東京・八王子で昭和初期の木造建築再生
(2017年10月6日 日刊建設工業新聞)
https://www.decn.co.jp/onlineservice/News/detail/3201710061601

応接室と玄関を見る
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 東京のJR八王子駅から浅川に架かる大和田橋を渡り、右折すると桜並木の河川公園があり、その前に「芳林閣(ほうりんかく)」がある。昭和10年代に完成した本格的な軸組み伝統工法の2階建て建物を改修・再利用。さらに約1000坪の敷地には庭園も復元され、200種を超す木々の緑であふれている。八王子に唯一残る昭和初期の貴重な遺構で、15日まで開かれている第34回「全国都市緑化はちおうじフェア」のスポット会場でもある。建物を所有・管理する木崎忠重氏(木ざき社長)は「当時を知る建物と庭をぜひ見にきてほしい」という。

 八王子は、明治末から昭和期まで全国でも有数の織物産業のまちとして栄えた。織物産業を支えた一人が木崎氏の父・茂重氏。1909(明治42)年に優れた教師陣を集めてつくられた東京府立織染学校を6期生として卒業。市内に「木崎紡織合名会社」を設立した。東京という大きな市場があることで急成長。さらに海外市場への転進もあって工場をかつて浅川の遊水地だった現在の場所(大和田町3丁目)に移転した。

玄関前の木崎氏
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□入母屋造りの「お城」□

 そこに建てたのが、本格的な軸組み伝統工法による2階建て住宅の芳林閣だ。茂重氏は、工場群の中核として30年代後半に建設に着手、造園も含め43(昭和18)年に完成した。入母屋造りの瓦屋根と白壁の住宅は遠くからも見え、「お城」「御殿」と呼ばれたという。当時の写真に威容が写っている。ところが太平洋戦争で機械は壊して献納。空襲で多くのものが焼失した。戦後は国からの復興資金で織物産業は復興したが、長くは続かず、市内にあった十数軒の大邸宅もなくなってしまった。「お城」も同じで、使われず雨漏りするような状態だった。

□改修し、活用してもらう□

 忠重氏は36(昭和11)年生まれ。10人きょうだいの末っ子だった。「工事に木曽から木こりが来たり、漆塗りも京都から職人が来たりした。そうした現場が面白く、遊び場でした。しかし、織物の仕事が嫌で、断ったら20歳の頃、勘当されてしまいました。その後、跡を継いだ兄が亡くなり、私が継ぐことになりました」と当時を振り返る。

 しかし、建物をどうすればよいか分からない。2000(平成12)年末ごろから解体も含め建設関係者と一緒に考えた結果、改修・再利用を決めた。「資金は敷地3000坪のうち1000坪を切り売りして捻出し、2階部分を切り取って1階を再利用することにしました。2階は約30畳の宴会場で、お客用でもあったし、10人きょうだいのうち7人がここで結婚式を挙げました。そうした思い出の詰まった場所でした」。改修に当たっては、「再活用して皆さんに使ってもらうということです」というように、八王子織物の記念的建物として保存すること、地域社会の人に交流の場として、伝統工法を習得する人には教材として提供すること、建物と緑地を楽しんでもらうことを考えたという。

□ほぼ原型のまま復元□

 再生された芳林閣は、2階部分を切り取ったほかは基本的にほぼ原形のまま。木崎氏は「いろいろな点で大変な難工事でした。なかでも、東京都あきる野市の来住野(きしの)工務店には大変お世話になりました。来住野社長と宮大工の木下棟梁が、急勾配の屋根の小屋組みの取り外しと再度の組み直しなど、厳しい注文に応えてくれました。さらにその伝統的軸組み工法の小屋組みを、階段を上って見られるようにもしてもらいました」と話す。1階の部屋は昔の応接室。30センチほどの段差を持つ二重の上げ天井はケヤキ一枚ものの4枚で作られている。「庭の木々の変化がいつでも見られるように、ガラス窓で庭に開いています。お茶会やコンサートに使ってもらっています。『芳林』とは芳香のある林の意で、『緑の島のなかの家』といっています」。

□多くの人に使ってほしい□

 木崎氏の父は「横紙破り」「けんか好き」「将軍」と呼ばれたほどの頑固者で、質実剛健を心掛けていたという。「奢侈(しゃし)を避け、良い材料で良い仕事をするという気風が、この建物の随所に表れています。そして調度品も含め、西洋文化も取り入れていました。かつて勘当された息子が、父が一代で造った建物を何とか残したいという思いでつくりました。そのために庭のことも含め、いろいろと勉強しました」。

 木崎氏の手元には八王子の織物の歴史から、今回の建物の改修記録などが貴重な資料として保存されている。昭和10年代の伝統的工法を使った建物で、四季折々の花や木が見られる日本庭園は八王子で芳林閣だけだ。

 「来住野社長にお願いする時、これから50年間、一切手を加えずに済むようにつくってほしい、それと、この改修で若い職人を使い、次の工事のための跡取りを育ててほしいとお願いしました。あとは次の世代へ引き継ぐために、活用や管理を含め、どのようにすればよいかを考えています」。


【記事A】
織物発展の名残 「芳林閣」とは
(掲載号:2017年9月7日号 タウンニュース八王子版)
http://www.townnews.co.jp/0305/2017/09/07/397432.html

▲芳林閣を管理する木崎さん。多目的室にて。
芳林閣3.jpg

日本庭園と書院風建築

 国道16号沿いの大型マンションの隣りに佇む、1000坪の日本庭園。南に浅川を望み穏やかな日差しに恵まれる中、200種1000本の樹木が「生き生きと」育っている。そしてその中心には総檜造りの「書院風建築」。緑の木立と「様式美」がおりなすこの空間が「芳林閣(ほうりんかく)」(大和田町)だ。

 9月16日(土)から始まる市制100周年記念「全国都市緑化はちおうじフェア」のスポット会場にも選ばれた。「時を忘れる」ような憩いの場所である一方、「八王子織物の記念物」と言われる建物について、その歴史はあまり知られていない――。

 かつてこの地には「木崎紡織合名会社」という織物会社があった。1928年にできた工場では、100人余の従業員が海外輸出向けの人造繊維を主原料とする織物を生産。製品は特に東南アジアで需要があり、工場は活気に溢れていた。

 同社のゲストハウスとして1942年に完成したのがこの建物。当初は2階建てで周囲から「御殿」「木崎城」などと呼ばれたそう。2階には宴会場もあった。しかし同年、太平洋戦争の激化に伴い、織物工場は軍需工場に転換させられることとなった。

時代伝える貴重なもの

 戦後は貸工場となり会社は織物業から手を引く。建物は住む人もなく老朽化が進み、解体も検討された。しかし戦前の建物が「再開発」などで減っていく中、「織物業が発展した時代を伝える貴重なもの」と考え、2001年、平屋に改修し再利用を始めた。建物を囲むように様々な庭木を植え、「香りある林」も作った。「芳林閣」の誕生だ。

 「いわゆる営業用の庭でなく、あたたかさを感じられる家庭的なものを心掛けています」。同社創業者、木崎茂重さんの5男で建物の保存に尽力し現在芳林閣を管理する木崎忠重さん(80)は話す。子どもの頃、自然の中で遊んだ経験、造園会社時代に身に付けた知識などを元に、自ら庭の手入れをしている。

 建物の一部は04年から「多目的室」として、研修会、お茶会、コンサートなどの利用に貸し出している。10月15日(日)までのフェア期間中は館内で休憩、見学を楽しめるようにする(入館料1000円)。時間は午前11時から午後3時。水木は休み。大正時代の広告宣伝物の展示もある。「お茶とお菓子で寛いでください」と木崎さん。庭園の観賞は無料。問い合わせは【電話】042・644・7464へ。

1957年の木崎紡織合名会社とその周辺の様子(上)/「お城」と呼ばれた頃の芳林閣。2階建てだった(左)/現在の芳林閣(右)
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【記事B】
人模様
八王子で春のコンサート 木崎忠重さん
(2017年4月22日 毎日新聞)
https://mainichi.jp/articles/20170422/dde/041/070/036000c

木崎忠重さん(中央)
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 東京都八王子市の私有庭園「芳林閣」(大和田町3)で9日、春のコンサートが開かれた。浅川北岸にある庭園はもとは広大な紡績工場の一角で、戦争中に建てられた総檜(ひのき)作りの書院風建築(芳林閣)はゲストハウスだった。所有する会社社長、木崎忠重さん(80)の「市民に開かれた庭園に」という思いから、10年ほど前から整備して一部公開し、俳句の会や同窓会などに使われている。

 桜と紅葉の季節に開く春秋のコンサートも4年目。同市在住のハープ奏者、吉田みちこさん(52)と同市などで活動するフルート奏者、近藤孝憲さん(43)がジュナンの「『椿姫』による幻想曲」などを奏でた。吉田さんは「新緑の庭を背景に演奏できるなんて、ぜいたくです」。近藤さんは「天井の高い木造建築は、響きがいいですね」。

 23日までオープンガーデンとして公開中。「季節の変化を肌で感じてもらえると思います。市民の憩いの場となればうれしい」と木崎さん。問い合わせは電話042・644・7464へ。【森忠彦】
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2017年04月10日

滝山城(国史跡)が4月6日、「続日本100名城」に選定される。八王子城に続き市内で2カ所目

 以前ブログで【国史跡「八王子城跡」を登城。3月に新しく開通した曳橋(ひきはし)も】を紹介しました。
http://welovehachioji.seesaa.net/article/437510134.html

 八王子城は、国史跡で、東京都内では江戸城とともに日本100名城として選定されていました(^^)

 2017年4月6日公益財団法人日本城郭協会は、「続日本100名城」を発表し、今回、八王子市滝山城国史跡)が選ばれました(^^) これで八王子市では、八王子城に続く2カ所目の選定となります。とても嬉しいです(^^)

 なぜ滝山城が、これまで日本100名城に選定されなかったのか不思議に思っていました。滝山城は中世の山城として複雑な構造がそのまま保存されている貴重な城です。

 とにかく今回の「続日本100名城」の選定で、多くの方が滝山城を訪れるようになると良いですね。滝山城には無料駐車場(滝山観光駐車場)も完備されています(^^)

公益財団法人 日本城郭協会 http://jokaku.jp/

都立滝山公園・滝山城跡(八王子市HP)
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/002/005/p003412.html


【記事】
続100名城に滝山城…八王子選定2か所目
(2017年04月07日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/local/tokyotama/news/20170407-OYTNT50176.html

続100名城に選定された滝山城跡の中の丸広場
続100名城に選定された滝山城跡の中の丸広場.jpg

 4月6日は「城の日」として、公益財団法人日本城郭協会は「続日本100名城」を発表、多摩地区からは八王子市の滝山城が選ばれた。同市では八王子城に続く2か所目の選定。都内ではこのほか「品川台場」が選ばれ、江戸城と合わせ名城は4か所となった。

 同協会が2006年に発表した「日本100名城」に続き、全国の推薦地点から、知名度や歴史的な重要性などから選定した。

 滝山城は16世紀前半の築城。のちに北条氏康の支配下となり、三男・氏照が大改修して武田勢の侵攻を食い止めるなど、土地の守りの要となった。櫓(やぐら)や塀などはないが、土塁や堀の跡が地形として残っている。

 地元の滝山城跡文化協会、加住地区町会などが季節の草刈りやボランティアガイド、甲冑(かっちゅう)隊の再現などに取り組み、保全とPRに努めてきた。同市も昨年、先端IT技術を生かしたAR(拡張現実)システムを導入。専用アプリを入れたスマートフォンを城跡一帯の指定ポイントでかざすと、櫓や城壁、甲冑武士団が実際の風景に溶け込んで見えるようにした。

 中世の山城として、複雑な構造と里山の景観から全国的にファンも多い。ボランティアガイドなどとして滝山城跡の保全とPRに携わる同市散田町の矢島尚司さん(70)は、転勤が多く全国の城を見てきた経験からも、「スケールの大きさといい、複雑な守りのからくりといい江戸城の原型ともいえる名城」と胸を張る。

 今回の選定について、滝山城跡文化協会の高橋清一会長(72)は「前回の落選はくやしかった。あらためてすごい城だと思う。各団体が力を合わせて盛り上げた結果で、本当にうれしいビッグニュース」と喜びを語った。

 石森孝志市長は「市内の二つの中世城郭が名城として選定されたことは光栄。これからも史跡の保護、活用に積極的に取り組みたい」とコメントを発表した。

 8日には、桜も見頃を迎えた城跡内の中の丸広場などで「滝山城跡桜まつり」が開かれる。午後1時からは江戸幕府の家臣団「千人同心」の装束に身を包んだ武士団による火縄銃の発砲披露、甲冑隊の行列が予定されている。ファンや地元住民らにはうれしい祭りとなりそうだ。
posted by 銀河流星 at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 八王子カルチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月07日

江戸時代に八王子ではじまり、南多摩地域に広がった竹細工「メカイ(めかご)」

 江戸時代八王子ではじまり、南多摩地域に広がった竹細工「めかい」に関する記事がありました(^^) 八王子市でも定期的に「めかい」作りの講習が行われています。

 八王子発祥の伝統工芸であるので、ぜひ伝統を引き継ぎ、次世代へ継承してほしいです(^^) 八王子駅前の商業施設「セレオ八王子北館」などでも、ぜひ展示即売会を開催できるといいですね(^^)

メカイ(めかご)とは
http://tamahaku.jp/event/00247.html

メカイ(めかご).jpg

メカイ(めかご)とは、篠竹で作る六つ目編みの小型かごです。
メカイ作りは、江戸時代の文化年間に宇津貫村で始まり、その後由木村へ伝わり、多摩村(現・多摩市)をはじめとする南多摩地域に広がったといわれています。かつては冬の農閑期に様々な大きさや形のメカイが作られ、仲買人によって主に東京方面に出荷されていました。農家の生活を支える大切な副業だったのです。

地域の伝統技能 メカイ作り
https://youtu.be/XJfx-2cfTfs


【記事】
東京)多摩の竹細工 後世に
(2016年12月1日 朝日新聞)
http://www.asahi.com/articles/CMTW1612011300001.html

めかい作りの講習会。地元の経験者から技術を教わった=町田市小野路町

◇市民ら保存会発足

 江戸後期から戦後しばらくにかけて、多摩南部の農村では「めかい」と呼ばれる篠竹(しのだけ)のかごが盛んに作られた。この竹細工の技術を知る人が少なくなるなか、次世代への継承の取り組みがかつての生産地で活発になりつつある。町田市小野路町では保存会が4日に発足する。

 めかいは、多摩丘陵の里山に自生する篠竹(アズマネザサ)を使い、六角目に編んだ小型のかご。江戸後期に今の八王子市で作られ始め、多摩市や町田市、稲城市など多摩南部に広がったとされる。農家の冬場の副業として貴重な収入源となり、東京や横浜などの都市部に出荷された。

 戦後、安価なプラスチック製品の普及によって衰退。材料がとれる里山もニュータウン開発などで多くが失われた。生産地の一つだった小野路町でも往事を知る人はわずかだ。

 保存会の発足は、NPO法人日本郷土史家協会(町田市)が「このままだと途絶えてしまう」との危機感から、小野路町で10、11月に4回の講習会を企画したのがきっかけだ。

 めかいの歴史から、篠竹の採取や加工、編み方まで一通りを学ぶ。参加者をタウン誌で募集するとすぐに定員いっぱいになり、最終的に20人が受講した。

 めかい作りの研究や指導に力を尽くした故・萩生田長吉氏から教えを受けた立川英治さん(68)らが講師を引き受けた。めかい作りの経験がある地元のお年寄りも講師陣に加わった。最年長の永井?夫(とみ・お)さんは94歳だ。

 10年ほど前に家族で小野路町に移り住んだ銘釼(めいけん)裕子さん(41)は「伝統技術を受け継ぎたい」と講習会に参加。「どれほど手間がかかるのかを実感した。趣味で終わらせず、仕事と両立しながら続けたい」と話す。竹細工の経験がある倉重小百合さん(50)は「身近でとれる材料で作れ、環境にいいのが魅力。売れるくらい上手になり、皆さんの元に届けたい」と言う。

 講師と参加者の有志は保存会を立ち上げることにした。リーダー格の立川さんは「技術を継承できる人が育つきっかけづくりをしたい」と話す。

 ここ数年、めかい作りの継承への関心が高まりつつある。恵泉女学園大(多摩市)では4年前、学生らが「恵泉めかいサークル」を結成。週1回、住民らと一緒に作り方を習っている。3年前には多摩市主催の講座をきっかけに、受講者やスタッフによる「多摩めかいの会」もできた。発祥の地の八王子市でも里山管理の傍ら、めかい作りを続けるグループがあるという。

 めかいを研究している同大の篠田真理子准教授(環境史)は「多摩丘陵で気軽にとれる篠竹を利用しためかい作りは、東京に残る里山の価値や地域史を考えることにもなる。技術の習得は時間がかかるが、次の世代に継承してほしい」と話す。(武井宏之)
posted by 銀河流星 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 八王子カルチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする