2016年02月19日

八王子城跡(元八王子町)の「曳橋」架け替え工事が2月終了、3月26日に開通式へ

 以前ブログで【進む八王子城跡の観光整備。御主殿跡を復元し一般公開】を紹介しました。
http://welovehachioji.seesaa.net/article/356843256.html

 その八王子城跡(八王子市元八王子町)ですが、「曳橋」架け替え工事が2016年2月終了し、3月26日に開通式が行われます。一般の人の通行は同日午後から可能となるそうですよ(^^)

 戦国時代と同様、谷沿いの道から曳橋を渡り、門をくぐるルートが2年半ぶりに復活します。皆さん、曳橋開通後に八王子城跡に出かけてみませんか(^^)

【記事】
曳橋から思う戦乱の世 八王子城跡の象徴を復活へ
(2016年2月19日 東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201602/CK2016021902000159.html

架け替え工事がほぼ終わり、3月26日に開通式が行われる曳橋=八王子市で
八王子城跡.jpg

 八王子市が八王子城跡(元八王子町3)で行っている「曳橋(ひきはし)」の架け替え工事が月内に終わり、3月26日に開通式が行われる。城跡のシンボルとして親しまれるデザインを踏襲する一方、木造から鉄骨造りに変更して耐久性が向上。戦国時代と同様、谷沿いの道から曳橋を渡り、門をくぐるルートが2年半ぶりに復活する。 (村松権主麿)

 関東屈指の山城とされる八王子城は、自然の地形を生かした攻撃への備えが特徴だった。城主の北条氏照が館とした御主殿は、南側に城山川の谷があり、曳橋を渡らなければ城に入れなかった。曳橋の名は、敵が攻めてきた時、床板を引いて外し、渡れなくしたことが由来とされる。

 市は落城四百年にあたる一九九〇年、一億五千万円かけて御主殿入り口の石垣や石畳を復元し、木製の曳橋も建設した。ただ、城側の橋の土台は林道を通した際に削られており、残されていた反対側の土台を生かし、戦国時代をイメージしたデザインが採用された。

 橋を渡って石垣の階段を上り、御主殿のある広場に出るルートが人気に。二〇〇六年に「日本の100名城」に選ばれると、来訪記念のスタンプに曳橋があしらわれ、天守閣のない城跡のシンボルとなっている。

 しかし谷間で日陰がちになり、湿気が多いため木の傷みが早く進み、一三年九月には通行禁止に。昨年五月に架け替え工事が始まった。

 設計にあたり「本来の橋と同じデザインにするべきでは」と指摘があり、市文化財課が古文書などを調べたが、記録は見つからなかった。そのため、「イメージが定着している」(中正由紀課長)建て替え前のデザインに落ち着いた。

 大きさもほぼ踏襲し、長さ三十五メートル、幅四・五メートル、橋脚の高さ八・三メートル。多湿に耐えるよう鉄骨造りに変更し、木と樹脂を原料とする再生木材を表面に張って木の質感を残した。建設費の一億九千万円は、四分の三が国と都の補助。

 橋は完成しており、今後は周辺整備が行われる。中正課長は「城跡を回遊できる曳橋の復活は、待ち望まれていた。橋から城跡を見上げ、戦国時代に思いをはせてもらいたい」と話す。

 二十六日の開通式は午前九時半から。一般の人の通行は午後から可能となる。JR・京王線高尾駅北口からバス、「霊園前・八王子城跡入口」下車。駐車場あり。

 <八王子城> 豊臣秀吉の東国攻めに備え、同じ八王子の滝山城を居城としていた北条氏照が1580年代、深沢山(標高460メートル)に築城した。90年6月、氏照ら主力軍勢が小田原城に籠城するなか、守りが手薄になった八王子城は前田利家らの猛攻により一日で落城。その後、城跡では大きな開発が行われず、標高約270メートルにある御主殿の遺構や石垣などは良好な状態で残され、1951年に国史跡に指定された。
posted by 銀河流星 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 八王子カルチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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