2015年09月06日

八王子の礎を築いた「大久保長安(ながやす)記念館」の上棟式が9月5日、産千代稲荷(うぶちよいなり)神社で行われる。年末完成へ

 以前ブログで【『長安さまのまちづくり―八王子のまちをつくった大久保長安―』(揺籃社)が、2015年1月1日発刊】を紹介しました。
http://welovehachioji.seesaa.net/article/415821165.html

 2015年9月5日大久保長安記念館の上棟式が、産千代稲荷神社(八王子市小門町)で行われました。 

 同神社は、徳川家康の家臣で、八王子の礎を築いた長安が1590年ごろ、陣屋を設けた際に創建したと伝えられており、没後400年を迎えた長安の業績を紹介するために、記念館の建築が計画されました。記念館は2015年末までに完成するそうです。

 八王子の歴史的な名所がまた一つ増えますわーい(嬉しい顔) 完成後にはぜひ訪れたい場所ですねわーい(嬉しい顔)

【記事@】
伝統にのっとり上棟式…八王子の神社
(2015年9月6日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/local/tokyotama/news/20150905-OYTNT50328.html

古式ゆかしく行われた大久保長安記念館上棟式
大久保長安記念館上棟式.jpg

◆長安の記念館建設へ
 八王子市小門町の産千代稲荷(うぶちよいなり)神社で5日、本殿脇に建築される「大久保長安(ながやす)記念館」の上棟式が古式ゆかしく行われた。建物最上部には五色の幣束や巨大な弓矢がしつらえられ、式の最後には、紅白のもち菓子や5円玉がまかれ、集まった氏子や関係者ら150人からは大歓声があがった。

 同神社は、徳川家康の家臣で、八王子の礎を築いた長安が1590年ごろ、陣屋を設けた際に創建したと伝えられている。没後400年を迎えた長安の業績を紹介するために、記念館の建築が計画された。

地元で敬愛される長安の記念館だけに、上棟式は伝統に従い行おうと、建築を請け負った建築会社社長の鈴木正廣さん(63)が、代々伝えられる経験と、所蔵する200年前の地元の記録文書を参考に、式次第を決めた。

 この日は小泉宜久宮司(30)が祝詞を奏上した後、烏帽子(えぼし)姿の職人らが見守る中、最後の棟木がつり上げられしっかりと槌入れされた。支えるように八王子消防記念会七番組の組頭、河井春夫さん(61)ら鳶(とび)職人による木遣(きや)りの声が響いた。

 鈴木さんは「こんな本格的な上棟式が行われるのは、20年ぶり。伝統はしっかりと伝えていきたい」と感慨深げだった。記念館は年末までに完成する。

【参考記事】
【戦国FX 武将たちの通貨】徳川家を恐れさせた大久保長安の“財力”
(2012年6月26日 zakzak)
http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20120626/ecn1206260712000-n1.htm

大久保長安の力で江戸初期に最盛期を迎えた佐渡金山。頂上から真下に割れた露頭掘りの跡が残る
佐渡金山.jpg

 武田家から江戸幕府に引き継がれたものは、金貨「甲州金」の貨幣制度だけではない。人材、兵法、軍事制度、そして鉱山開発のノウハウも引き継がれている。ここで鍵となる人物が、徳川家康に重用された武田の遺臣・大久保長安(ながやす)である。

 長安は1545年、武田信玄お抱えの猿楽師(現在の能楽・金春流)である大蔵信安の次男として生まれた。若い頃から頭脳明晰であったため信玄にその才能を見いだされ家臣(代官衆)となり、税務や司法、さらに甲斐一の金山である黒川金山の開発など、数々の業務に携わることになった。

 しかし1582年、織田信長の侵攻でついに武田家は滅亡、甲斐国内は大混乱に陥ってしまう。実は、その危機を救った人物も長安であった。長安は徳川家康に取り立てられるやいなや、堤防復旧、新田開発そして金山開発と大車輪の活躍をみせ、数年で甲斐を再建させたといわれている。なお、彼の大久保という姓は、彼を評価した家康の重臣・大久保忠隣(ただちか=「天下のご意見番」といわれた大久保彦左衛門のおい)から与えられたものである。

 その後、家康が関東に移った際には「関東代官頭」として徳川直轄領の事務を担当。江戸を守るための要衝であった八王子において、武田家遺臣による「八王子千人同心」を結成するなど、現在の八王子市の基礎も長安がつくっている。

 そして、1600年に関ケ原の戦いで家康が勝利すると、豊臣家が支配していた佐渡金山・生野銀山などは徳川直轄領となり、長安は「甲斐奉行」「石見奉行」など数々の役職を兼任。鉱山についての豊富な知識と経験をいかし、これまで湧き水に苦しめられることの多かった縦堀から、排水が容易な横堀に変えて効率アップに成功している。

 1603年には、さらに「佐渡奉行」「所務奉行(勘定奉行)」に任ぜられ、同時に「年寄(老中)」にまで登りつめた。まさに異例の大出世である。

 彼の活躍は全国の鉱山統括にとどまらない。日本橋を起点とした東海道・中山道などの交通網の整備や一里塚の建設まで取り仕切っている。家康による全国統一事業は、武田家が培ってきたノウハウとそれをいかす長安という人物がいたからこそ成し得たといえる。

 しかし皮肉なことに、この偉大な業績が彼の死後に悲運をもたらす。政敵だった本多正信・正純父子の陰謀により、「長安が生前に鉱山経営で不正蓄財をしていた」と疑いをかけられ、遺体をさらし首にされたのだ。しかも、7人いた長安の息子たちは全員切腹を命じられ、長安を庇護していた大久保忠隣、姻戚関係にあった石川康長(石川数正の子)や里見忠義(里見家最後の当主で『八犬伝』のモデル)ら多くの大名も連座で改易される大事件へと発展した。この事件は、単なる権力闘争ではなく、長安一族の財力を徳川家が強く警戒したからでもある。鉱山経営から生まれる富は、国家をも恐れさせるほどの力があったのである。

■山田真哉(やまだ・しんや) 1976年神戸市生まれ。大阪大学文学部日本史専攻卒。受験予備校に就職するが退職し、その後、公認会計士・税理士に。会計学を身近な話題から探究する『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(光文社新書)が160万部を超える大ヒット。会計ミステリー小説『女子大生会計士の事件簿』もシリーズ100万部を突破した。近著に『経営者・平清盛の失敗 会計士が書いた歴史と経済の教科書』(講談社)。
posted by 銀河流星 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 八王子カルチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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