2014年07月18日

八王子と「富岡製糸場」をつなぐ片倉製糸紡績。明治時代の蚕室は日本機械工業(八王子市中野上町)の社員寮として存続、世界遺産級か?

 昨日、【創業大正11年、消防車メーカー「日本機械工業株式会社(NIKKI)」 本社工場(八王子市中野上町)】を紹介しましたわーい(嬉しい顔)
http://welovehachioji.seesaa.net/article/401982294.html

 同社が昭和18年片倉製糸紡績株式会社「八王子製糸所」のあった現在地(八王子市中野上町)に、横浜鶴見から移転してきたことをお伝えしましたね。

 ところで、片倉製糸紡績株式会社は、2014年6月に世界遺産に指定された「富岡製糸場」(群馬県富岡市)も運営していたので「八王子製糸所」と「富岡製糸場」は一時期同じ会社でした。

 なので、もしかしたらと辺りを見渡すと、明治時代蚕室だった建物がそのままに残っているではありませんかexclamation×2 蚕室の換気のための越屋根もありますexclamation×2

 さらに、この朽ち果てそうな建物が、日本機械工業社員寮として利用されていることに再度、驚きましたexclamation×2 現役です。素晴らしいですねわーい(嬉しい顔)

 八王子織物の街として栄え、桑都という美称もあります。織物の街を自称するからには、八王子にとってこの建物は永久保存すべき貴重な文化遺産。一企業に任せておくべきではありません。

 八王子市はぜひ同所を買い入れ、観光資源として早急に保存、開発すべきです。このままでは貴重な文化遺産が失われる危機感を感じました。よろしくお願いします。

日本機械工業 第一南秋寮(撮影:銀河流星)
※社員寮として利用されています
日本機械工業 第一南秋寮1.jpg
日本機械工業 第一南秋寮2.jpg
日本機械工業 第一南秋寮3.jpg
日本機械工業 第一南秋寮4.jpg

日本機械工業 第二南秋寮(撮影:銀河流星)
※閉鎖されたのでしょうか。こちらの社員寮には人の気配がありませんでした。
日本機械工業 第二南秋寮5.jpg
日本機械工業 第二南秋寮6.jpg

社員寮の入口にあった建物。養蚕に関係する建物だったと推測されます(撮影:銀河流星)
日本機械工業7.jpg

【記事@】
日本機械工業(本社工場)
(らぶはちVol.5 2012年SPRING)
http://www.hachioji.or.jp/lovehachi/data/lovehachi_vol5.pdf

 浅川の近くにある日本機械工業は、日本屈指の消防自動車の工場である。消防ポンプ車や、世界初の消防自動二輪車などの各種消防自動車を年間300台以上も製造する。大正11年に「ジョイント商会」として横浜で創業。昭和18年、戦火を逃れるため八王子へと工場へ移した。

 現在の工場がある場所は、明治10年、萩原彦七が萩原製糸工場を創業した土地である。明治の中頃には、工員を250人も抱える規模にまで成長し、八王子の近代工業の先駆者でもあった。(その名前は現在、萩原橋としても残っている)。明治34年に長野発祥の片倉工業へ経営を譲渡。昭和20年まで片倉製糸紡績八王子製糸工場として活動は続いた。(片倉工業は日本機械工業の創業時からの出資者で現在の親会社)。

 敷地内には旧講堂や事務所棟など当時の面影を残す建物も残っており、まさに八王子の歴史を伝える近代遺産。製糸業に必要だった大量の水は敷地内の湧水を利用していたが、この水源は現在でも消防ポンプ車の放水テストなどに使われている。

 NIKKI(ニッキ)ブランドとしてその名をはせる日本機械工業。今後も八王子浅川の地で消防自動車の歴史を刻んでいく。

【記事A】
八王子 紡ぐ桑都の記憶
(2014年6月9日 朝日新聞)
http://www.asahi.com/area/tokyo/articles/MTW20140609130830001.html

◆世界遺産・富岡を越える製糸場
 群馬県富岡市の富岡製糸場と絹産業遺跡群が世界遺産になる。八王子市もかつては「桑都(そう・と)」と呼ばれ、製糸場が存在。その「記憶」は、街のあちこちに残る。富岡ブームの中、「国産繊維の良さを、改めて知ってもらう機会」と関係者は期待する。

養蚕に使われた日本機械工業の従業員寮=八王子市中野上町
養蚕に使われた日本機械工業の従業員寮=八王子市中野上町.jpg

 富岡製糸場は1872(明治5)年に官営工場として開業したが、経営難などから、戦前、現在の片倉工業(中央区)に経営が移った。同じような経歴を持つ工場が、八王子市にもある。

 1877年、製糸家・萩原彦七が立ち上げたのが萩原製糸場(八王子市中野上町)だ。製糸作りに使う釜の数は93年時で340にのぼり、富岡製糸場を上回る日本最大級の工場だった。

 しかし事業は失敗し、1901(明治34)年、片倉製糸(片倉工業)に売却された。終戦ごろまで、片倉八王子製糸場として稼働していたが、その後は片倉工業の子会社・日本機械工業の所有となった。

 同社は、ポンプ車やはしご車といった消防車両の製造を手がける。同社を訪れても、一見しただけでは製糸場の面影はない。しかし、かつての講堂は部品倉庫に、養蚕に使われた建物は期間従業員用の寮にと、一般には非公開だが、明治期の木造建物は今も残っている。同社総務課の勝沢清さん(55)は「設備を一新する余裕がないだけですが、うちのは遺産ではなく現役です」と笑う。

 八王子は、山がちで稲作には適さなかったことから、昔から養蚕・織物業が盛んだった。江戸時代には宿場町として交通の要衝となったことで、近隣の町から織物が集まり、「桑都」と呼ばれた。
 その名残は、製糸場以外にも、街のいたるところに見ることができる。

多摩織の織機を使う岡本孝之さん。八王子織物工業組合は後継者育成のための教室を開いている=八王子市八幡町
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・絹の道■資料館■学校や酒にも「桑」
 JR八王子北口駅前の大通りは「桑並木通り」。名前の由来は、製糸場から養蚕に使う桑の木が寄付されたことにちなむ。このほか八王子桑志高校や桑都保育園、地酒「桑乃都」など、あちこちに織物関係の名称がある。

「絹の道」と刻まれた石碑。台座には桑の葉、糸枠、繭が描かれる=八王子市鑓水
絹の道.jpg

 八王子市鑓水(やり・みず)にあるのは、「絹の道」と呼ばれる未舗装の道だ。明治時代初期、八王子から横浜へ輸出用生糸が運ばれた輸送路で、周辺には生糸で財を成した豪商の屋敷跡が残っている。道沿いには市が整備した「絹の道資料館」もある。

 絹の道は鉄道開通によってその役割を終えた。一時はその存在も忘れかけられたが、宅地開発が進む中で、研究者らから「日本のシルクロード」とも言える貴重な遺跡として関心を持たれるようになった。72年には市指定の史跡に、96年には文化庁の「歴史の道百選」に選ばれた。

◇伝統工芸「多摩織」の挑戦
 繊維業は衰退したが、八王子の織物は、国指定の伝統的工芸品「多摩織」として継承されている。

 八王子織物工業組合によると、設立時の1899(明治32)年には3900人いた組合員は、現在わずか65人に。売り上げも1970年の約300億円をピークに下がり続け、現在は約30億円と苦境が続く。

 しかし、組合専務理事の岡本孝之さん(69)は「若い世代には八王子が織物産地と知らない人も多い。もっと広くアピールしたい」と話し、伝統を守ると共に積極的な挑戦を続けている。

 主力商品はかつての着物から、ネクタイやストールに変わった。組合直営店「ベネック」(同市八幡町)には帆布バッグや、地元の多摩美術大学らと協力し、若者向けのデザインを採り入れた商品も多い。こうした努力が功を奏したのか、直営店の売り上げは近年増加傾向にあるという。

 富岡の世界遺産登録も、「追い風」になっている。織物が注目されるようになり、百貨店から織物フェアへの出店依頼が来るようになった。

 岡本さんは「糸を多く使い、生地がしっかりした国産の良さを感じてもらえるチャンスだ」と期待する。

 視線の先にあるのは2020年の東京五輪だ。開催地の織物産地として日本代表選手団の公式ウエア採用を目指している。八王子の織物の世界デビュー。あながち夢物語ではない。 (加藤勇介)
posted by 銀河流星 at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 企業ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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