2013年03月01日

Jリーグ史上最年少の18歳でハットトリックを達成! 東京ヴェルディのMF「中島 翔哉」選手

 これまで八王子市出身のJリーガーを何人も紹介してきましたが、東京ヴェルディのMF「中島 翔哉」(なかじま しょうや、1994年8月23日 - )選手は、松が谷フットボールクラブでサッカーをはじめ、八王子市立別所小学校八王子市立別所中学校卒業の八王子市出身Jリーガーわーい(嬉しい顔)

 昨年2012年10月4日、高校3年生のときに東京ヴェルディプロ契約を結び、同年10月21日の栃木SC戦でJリーグ史上最年少の18歳59日でハットトリックを達成した話題の選手ですexclamation×2

 身長が163cmの小柄な中島翔哉選手ですが、今後の活躍が大いに期待されているので皆さんぜひ応戦してくださいねわーい(嬉しい顔)

中島 翔哉
出典:東京ヴェルディ http://www.verdy.co.jp/itemview/template31_1_1263.html
中島 翔哉.jpg

PS:過去のブログでも紹介した八王子市出身の常盤 聡(ときわ さとし)選手も現在、東京ヴェルディに所属してますよ。
【過去ブログ】http://welovehachioji.seesaa.net/article/210232455.html

【記事】
東京Vの高校3年生・中島がJリーグ史上最年少ハットトリックを達成
(2012年10月21日 ゲキサカ)

 東京ヴェルディのFW中島翔哉がJリーグ史上最年少ハットトリックを達成した。東京Vユース所属の高校3年生ながらすでにプロ契約を締結している18歳は栃木戦に先発出場。 前半16分に先制点を決めると、1−1に追いつかれたあとの後半13分、17分に連続ゴールを決めた。 18歳59日でのハットトリック達成は、現G大阪監督の松波正信がプロ1年目の93年11月20日の市原(現・千葉)戦で記録した18歳364日のJリーグ最年少記録を19年ぶりに塗り替える快挙となった。

「チームメイトが取らせてくれたので、特に自分の力ではないです」。Jリーグの歴史に残る快挙にもそう謙虚に話した中島。記録のことを聞かれても「記録に残る選手ではなく、記憶に残る選手になりたい」と言い切った。

 2試合ぶりに先発起用された現役高校生の独壇場だった。前半16分、後方からの浮き球のパスに反応した中島がPA内に抜け出し、左足で先制点。 途中出場でデビュー戦ゴールを記録した9月14日の福岡戦(1-1)以来、6試合ぶり今季2得点目で、最近4試合勝利のなかったチームを勢い付けた。

 後半立ち上がりの1分、一瞬の隙を突かれて栃木SCのFWサビアに同点ゴールを許したが、ここで中島がチームの窮地を救う。後半13分、MF和田拓也からパスを受けたMF西紀寛がミドルシュート。 GKが前に弾いたボールに詰め、右足で押し込んだ。さらに同17分、高い位置でボールを奪った和田のラストパスからGKと1対1を迎えると、冷静に右足で流し込み、ハットトリックを達成した。

 その後も攻撃の手を緩めない東京Vは後半25分、中島の右足ミドルが左ポストを直撃。惜しくも4点目とはならなかったが、後半ロスタイムにエースのFW阿部拓馬がダメ押しの4点目を奪い、4−1で快勝した。 これで5試合ぶりの白星。順位は7位のまま変わらなかったが、プレーオフ圏内の6位千葉と勝ち点で並び、昇格争いに踏みとどまった。

【記事A】2015/3/26追記
無類のサッカー少年。中島翔哉の知られざる幼少時代の素顔
(2015年3月26日 フットボールチャンネル)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150326-00010026-footballc-socc

中島翔哉【写真:Getty Images】
中島翔哉【写真:Getty Images】.jpg

負けるということが大嫌いだった少年時代
 2016年に開催されるリオデジャネイロ五輪出場を目指す、U-22日本代表に名を連ねる中島翔哉。小学5年生時にヴェルディジュニアに入団してからプロ選手になるまで順調に成長してきた、彼に少年時代を振り返ってもらうと、サッカーをうまくなるうえで少年時代から変わらないことがあるという。(『ジュニアサッカーを応援しよう!VOL.35より一部抜粋』)

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――中島選手は94年、八王子市生まれということですが、サッカーを始めたのは?

八王子市別所小学校に入った小1の時。それまでは遊んでいる程度だったけれど、『僕がサッカーをやりたい』と言ったら、母親が近くにあった『松が谷FC』に連れていってくれた。それがきっかけです。

――松が谷FCはどんなクラブ?

普通の町クラブで、お父さんコーチが指導していたのかな。1学年15〜16人はいて練習は土日だけ。ドリブルや、ミニゲームをしたり、みんながやるような練習だったと思います。コーチは自由にやらせてくれました。小3〜4の頃のチームは結構強くて、八王子市のフットサル大会で優勝したこともあります。

――当時はどんな選手だった?

まあ、負けず嫌いでワガママだったのかな(笑)。ボールを持ったらパスをしなかった。それでもコーチには怒られなかった。気持ちよくサッカーをしていました。

――平日は自分で練習していたんですか?

はい。学校から帰って、近くの公園でだいたい1人でドリブルしたりしていましたね。コンクリートの上で、裸足でボールを蹴ったり。

とにかくサッカーが好きで、学校の授業中もボールを足元に置いていたくらい。先生に怒られてボールを取り上げられるんですけれど、また取りに行って……今だったら絶対にやらないです(苦笑)。

松が谷FCとは別に、小2〜4までは(東京)ヴェルディのスクールに週1くらいで通っていました。
最初に入った時に指導してくれたのは菊池新吉(現川崎フロンターレGKコーチ)さん。小2の僕が泣きながらドリブルで向かっていったことがあったみたいです。後に、そんな子どもは今までいなかったと言われました(笑)。

――本当に負けず嫌いですね。

一番になりたいって気持ちが強かったのかな。菊原志郎(現横浜F・マリノスジュニアユースコーチ)さんもいて、見て学ぶことが多かった。そこがヴェルディと他の違うところですね。志郎さんはU-17代表の時もコーチをやっていて、一緒に紅白戦をやった時、改めてすごくうまいなと感じました。

ロナウジーニョに憧れ技術を磨いた
――そのヴェルディのジュニアに小5から入っていますが、セレクションを受けて?

はい。小4の時、スペシャルスクールに入っていて、同学年のヴェルディジュニアと試合をしたんです。その相手がみんな上手でぜひ入りたいな、と。セレクションは3次テストくらいありました。基本的には全部7〜8人くらいのゲーム。受かるとは思っていなかったです。

合格した後、小4の終わり頃から練習に通うようになりました。スクールの頃は母親に車で送り迎えしてもらっていましたが、ジュニアに入ってからは週3回の練習には電車で40分くらいかけて行っていました。帰りは遅い時間になっても、全然苦にはならなかった。練習自体にも苦労した覚えはないです。監督は永田雅人(現ジェフ千葉U-18コーチ)さんで、『ボールを触われ』とよく言われました。『うまい選手が触わらないとゲームにならない』と。僕はなるべく触れる場所にいるようにしていました。

――当時、工夫していたことは?

監督が編集したDVDを練習前にみんなで見たり、借りたりしていました。ブラジルやスペインの試合で、僕はロナウジーニョが好きでしたね。とにかく技術が高かった。ロナウジーニョが家でボールを蹴っていたという話を聞いて、自分はボールと一緒に寝ていましたから(笑)。それを見ながらいつか世界で活躍したいと思い描いていましたね。

海外サッカーばかりで日本のサッカーを見る機会は少なかった。日本代表では中田英寿選手が好きでした。2006年ドイツワールドカップのブラジル戦を見てすごくいいなと思ったら、直後に引退してしまった。僕もああいう舞台に立ちたいと感じました。

――ヴェルディジュニア時代の思い出は?

全少(全日本少年サッカー大会)でベスト4で負けたこと。相手は喜田拓也がいた横浜F・マリノスジュニアで、本当に悔しかった。絶対に負けたくなかったから。

それで発奮したのか、ジュニアユースに上がってからは一番早くグラウンドに行って、最後に帰るようになりました。練習前は1人でリフティングとか、斜めになっている壁のところでキック練習をしたりして、練習後はシュートをやっていたのが多かったですね。 

元川悦子

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