2018年01月06日

八王子育ちで八王子観光大使のプロ棋士「羽生善治(はぶ よしはる)」氏に、1月5日、国民栄誉賞決定!

 皆様、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします(^^)

 年初から、喜ばしいニュースが飛び込んで来ました。

 八王子育ちで八王子観光大使でもあり、将棋で初めて永世7冠を達成した羽生善治氏の国民栄誉賞の授与が2018年1月5日、正式に決まりました(^^)

 本当に、おめでとうございます(^^)

 羽生善治竜王は、プロ棋士を10人超輩出している名門「八王子将棋クラブ」(八王子市横山町)出身です。

 幼稚園に入るころに八王子市に移り住み、桑の実幼稚園を卒園、小学校は、八王子市立恩方第一小学校に入学、2年生から新八王子市立元木小学校に転校。高校は東京都立富士森高校(八王子市長房町)に通いました。

 皆さん、ぜひ八王子将棋クラブのある八王子で、第2の羽生善治棋士を目指してみませんか?

八王子将棋クラブ
https://shogiigo.com/dojo/%E5%85%AB%E7%8E%8B%E5%AD%90%E5%B0%86%E6%A3%8B%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96

書籍:著者・加藤勇介、出版社・朝日新聞社
「第2の羽生」をめざす子どもたち 名人が通った将棋クラブ
http://astand.asahi.com/webshinsho/asahi/asahishimbun/product/2015052500002.html


【記事@】
<国民栄誉賞>羽生、井山氏「将棋・囲碁世界への名誉喜ぶ」
(2018年1月5日 毎日新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180105-00000114-mai-soci

握手を交わす羽生善治竜王(左)と本因坊文裕(井山裕太7冠)=久保玲撮影
握手を交わす羽生善治竜王(左)と本因坊文裕(井山裕太7冠).jpg

 「将棋の世界を認めていただいて、ありがたいと感じている」(羽生善治竜王)

 「囲碁界もまさにそうで、非常にありがたい」(本因坊文裕)

 将棋で初めて永世7冠を達成した羽生善治氏(47)と、囲碁で初の2度にわたる7冠独占を果たした井山裕太氏(28)=本因坊文裕(もんゆう)=に対する国民栄誉賞の授与が5日、正式に決まった。先月22日に毎日新聞社で対談した2人は、国民栄誉賞について聞かれると口をそろえてこう言った。自身の功績より、所属する世界に対する名誉を喜んだのだ。

 古くから、文人のたしなむべきだとされる芸能を指す「琴棋書画(きんきしょが)」の言葉がある。この場合の「棋」は囲碁に由来するが、江戸時代には囲碁・将棋ともに広く普及して、幕府が扶持(ふち)(給与)を与えてそれぞれの家元を庇護(ひご)した。

 文化の他分野と違って、囲碁・将棋は2人で対戦し、はっきり勝敗がつく。芸術的側面より、勝負の意味合いが強調される面もある。その点は文化としてとらえにくいイメージがあるかもしれない。

 明治時代になると、後ろ盾を失って囲碁・将棋界は勢いを失い低迷期に入る。昭和に入り、東京日日新聞社(現在の毎日新聞社)が将棋の名人戦、囲碁の本因坊戦を創設したのを皮切りに、新聞社、通信社などが主催するタイトル戦が創設されるにつれ、社会的な地位も向上。対局が増える中で棋士の実力も向上し、2人のように高度な技能を発揮する棋士も増えてきた。

 だが、文化功労者となったのは、将棋の大山康晴十五世名人(1990年)、囲碁の二十三世本因坊栄寿=坂田栄男氏=(92年)の2人だけ。国民栄誉賞の受賞者はスポーツ界、芸能界がほとんどで、他は少ない。

 永世7冠、2度目の7冠は空前の記録で、今回の授与は2人の偉大な功績があったためだが、社会的に広く認知されるためには囲碁界・将棋界のさらなる努力が求められる。【山村英樹】


【記事A】
王座2人育てた「聖地」
八王子の将棋道場40年、プロ棋士10人超輩出 八木下征男
(2017年12月22日 日本経済新聞)
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO24913100R21C17A2BC8000/

 八王子将棋クラブ(東京都八王子市)というと、ちょっとした将棋の「聖地」らしい。近所の愛好家や子供らが集まる何の変哲もない将棋道場だが、永世七冠を遂げた羽生善治さんをはじめ、10月に王座のタイトルを獲得した中村太地さんら、たくさんのプロ棋士が巣立った。私は40周年を迎えた将棋道場を席主として切り盛りしてきた。

 私が将棋を覚えたのは小学生の頃だが、ずっとヘボ将棋だった。日立製作所にいた20代半ば、大山康晴十五世名人の本を読んで楽しさに目覚めた。地元八王子で道場に通い始めると、どこも2〜3年で潰れる。そのたびに言いようのないさみしさを味わった。高度成長期で繁忙を極めた仕事にも嫌気がさし、自分で開業することにした。

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 子供大会に羽生少年

 1977年3月、わずか7坪に将棋盤15面でのスタートだった。半年は赤字続きで、軌道にのった翌年8月、感謝を込めて無料子供大会を開いた。応募者のひとりに小学2年の羽生さんがいたのが、とんでもない幸運だった。

 初心者なのに熱心。頭の回転が速く、手筋を教えれば次回には使いこなす。当時は7級からのスタートが一般的だったが、続きそうな予感がしたので特別に15級を認定し、どんどん昇級させた。

八王子駅前にある将棋道場は、近所の愛好家や子供でにぎわう
八王子将棋クラブ2.jpg

 帰り際、お母さんに「今日も級が上がったよ」と報告しているのがほほ笑ましかった。翌年には対局後、全手順を思い出して棋譜を付けられるほど成長していた。お客さんの対局の組み合わせを考えるなど仕事中の私に、テレビ棋戦の解釈や批評を話してくる。適当に相づちを打っていたが、すごく楽しそうだった。

 羽生さんは棋士を養成する奨励会に入って道場を“卒業”。15歳でプロになり、25歳の96年に史上初の七冠独占を達成した。八王子駅前の広い場所に移っていたが、ゆかりの地を聞きつけたファンでにぎわい、週末には100人を超えて立ち見がでるほど。てんてこ舞いの忙しさだった。

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 懐かしのカード、再び

 ちょうどその頃に通っていたのが小学生の中村太地さんだ。落ち着きがあり、まじめで礼儀作法ができていた。友人が強い相手に遊ばれ、すべての駒を取られて負かされると、「次は僕がやろう」と挑戦し、逆に駒を全部取ってやり返していた。

 羽生さんの指導対局を受けて、飛車落ちで負けて悔しそうにしていたのを覚えている。今年の王座戦で羽生さんに挑戦し、初タイトルを獲得したのは感慨深い。

 八段の阿久津主税さん、七段の村山慈明さん、新人王戦を2連覇した四段の増田康宏さんら道場出身のプロ棋士は10人を超える。今でも年1回は遊びに来てくれる棋士も多く、一度に子供5人を相手にする5面指しなど指導対局をしてくれる。

 プロ棋士になれなかったが、忘れられないのは天野貴元さんだ。がんで2年前、30歳で亡くなった。トップ棋士も認める才能だったが、奨励会に入って遊びを覚えたのが影響したのか、最終関門の三段リーグを抜けられなかった。

 病気になってからはしょっちゅう道場に来て、いつも勝っていた。対局後は突っ伏して、トイレに行くのもヨロヨロ。あれだけ将棋が好きな人は見たことがない。普及にも熱心で、今でも道場の師範代の位置に名札を掲げている。

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 夢中にさせる工夫

 道場ではプロを育てようとしたわけではなく、みんなが楽しく過ごせる企画を考えてきただけだ。段級位別のリーグ戦を開いたり、結果を新聞にまとめたり。それだけで子供たちは向上心が刺激されるようで、将棋に夢中になる。

 とはいえ、それなりの手間はかかる。100円均一の店で材料を買ってトロフィーや盾を手作り。83年に創刊した「八将タイムス」はほぼ毎週発行し、1500号を超えた。たいてい8ページ、60〜100部をコピーし、カウンターで配布する。

 羽生さんや中村さんら、これと見込んだ子供の対局記録や棋譜は残してきた。得意の似顔絵を付けて製本し、昇段などの節目にプレゼントすると大喜びしてくれた。

 プロになったのは必ずしも同じタイプの子供ではないが、将棋にまじめで熱心という点は共通していた。最近の子供たちはスマートフォン世代なのか、あまりコミュニケーションが得意でないように感じる。返事の仕方から教えないといけないが、将棋が人間形成に役立てばいいと思う。

やぎした・ゆきお=八王子将棋クラブ席主.jpg
(やぎした・ゆきお=八王子将棋クラブ席主)


【記事B】
羽生さんらの出発点に
横山町・八王子将棋クラブ
(掲載号:2017年11月30日号 タウンニュース八王子版)
https://www.townnews.co.jp/0305/2017/11/30/409171.html

「まち棋士」を見守り続けてきた八木下さん
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 現在、史上初となる将棋の「永世7冠」を目指し、竜王戦に挑んでいる羽生善治さん(47)が小学生時代、腕を磨いた場所が市内にある。横山町の八王子将棋クラブだ(当時は東町)。先月、羽生さんを破り、王座に就いた中村太地さん(29)ら多くのプロ棋士たちの「出発点」にもなってきた。

 パチ、パチ、パチ――。50平方メートル程度の室内いっぱいに小学生から大人が集まり、無言で駒を指し合う。場所こそ、東町から横山町に移ったものの、1977年のオープン以来、八王子将棋クラブの変わらない光景だ。現在は週5日営業。子どもたちにとっては大人と対局し力試しできる貴重な場であり、大人たちには趣味を楽しめる息抜きのスポットとして多くの「まち棋士」を受け入れてきた。

 「山あり、谷ありで大変だったね」と店主の八木下征男さん(74)はこの40年間を振り返る。

「仕事に追われたくない」

 元々、電気設備関係の仕事に就いていた八木下さんが将棋クラブを立ち上げたのは「仕事に追われない」環境に身を置きたい、と考えたため。高度成長期のなか、仕事に忙殺される毎日を送っていたなかでの決断だった。「20歳過ぎまで将棋はルールを知っている程度だったんだけど、社内の大会で思わぬ好成績を収めたことからのめり込んでいったんだよ」。やればやるほど、結果がついてくる将棋の奥深さに惹かれたことが起業の後押しをした。

忘れられない出会い開業2年目に

 忘れられない出会いが開業2年目の夏。小中学生対象のトーナメント大会を企画したところ、母親と共に当時小学2年生だった羽生さんがクラブに来た。「お母さんに背中を押されて、という感じだったね。ほがらかでもの静かな子だったよ」。そこで飛車角と桂馬、香車の6駒無しで羽生少年と対戦したところ、八木下さんが勝利。ただ、次戦では接戦、3戦目で負けてしまった。敗戦の要因を徹底的に分析し改善策を立ててくる――。「飲み込みの早い子だったね。将棋の本も隅から隅まで読んできたようだった」と八木下さん。この一戦に勝てば級が上がるという試合に負けても、淡々と「次、勝てばいいんだよ」と話す羽生少年の姿に精神的な強さを感じたという。

 この出会いがクラブを日本一とも言えるほど有名な将棋道場に変えた。羽生さんが初めて7冠を獲得した96年から5年間ぐらいは、羽生さん「出身クラブ」として有名となり、毎日100人を超えるぐらいのお客さんが来るように。そのなかには羽生さんに憧れ、プロ棋士を目指す少年たちも含まれていた。「中村君が羽生君に憧れ、今では中村君を目指して当クラブに来る子も少なくない。羽生君から始まったこの好循環が、女流を含め10人を超えるプロが幼少期に当クラブを利用してくれていた理由になっていると思う」と八木下さんは考えている。

今は生きがいに

 「オープン当初はこんなにも有名なクラブになるとは、夢にも思わなかった。ゆっくり仕事をしていきたいと思っていたんだけど」。ただ、知名度が上がったとはいえ、一般の平日1日分の利用料金が800円である将棋クラブで生計を立てていくのは困難なことだという。「だから、私の跡を人にはお願いできないよ。今は生きがいとして運営している部分が大きい」。無理なくできる所まで。一緒にクラブを運営している妻のひろ子さんとそう決め、八木下さんは「まち棋士」たちを迎え続けていくつもりだ。
posted by 銀河流星 at 23:59| Comment(0) | 八王子ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする